2023/12/05

■ きく - オルガンって?

※カトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂); 関口教会ウェブサイトより

12月。クリスマスの月? それってキリスト教の話では。いや、でもニッポンの行事ですよね。もうニッポン固有ニッポン古来の伝統行事との固定観念もあろうかという勢いです。クリスマス=忘年会=飲み会という概念の正しさに疑問の余地もないニッポンのオッサンが、酔って帰宅途中、偶然通りかかったキリスト教会前を見て「へぇ、キリスト教でも、クリスマスをヤルのかぁ」と感心した話もあるくらいで。

 私は学校に通っていた時代に、親戚である浄土真宗のお寺に下宿していましたが、そのお寺には、他にも下宿生が、時期にもよりますが、中学生・高校生・大学生などが混在していたりして、この下宿生のために、冬休みの入りに、「クリスマスパーティー」もあったくらいです。え? 仏教寺院でクリスマスパーティをしていいのか!?...って?...(;^^A…イデオロギー上の論理的矛盾に気づいたとしても、ま、おカタいこと言わずに...。親元を離れて勉強する下宿生への、ささやかながらこころのこもった気づかいですよ。みんなのご飯を365日のあいだ毎日3食、当然お弁当もつくって、さまざま世話をしてくれた伯母さん(住職の妻)は、よほどたいへんだっただろうなと思います。

 で、今年は、教会の暦で、クリスマス前の待降節第1主日が遅くて、おととい12/3(日)だったそうです。それは何? だから何? で別にいいんですが、個人的な暦感覚では「真冬の入り」で、昼なお鉛いろにどんよりと暗い日がこれから3か月続くというこの地方で生きていると、待降節→四旬節と、気持ち的にもずっしりと重いです。よくわからない感覚でごめんなさい。

 そんな天候気候できく音楽は、i). 明るく軽く華やかな曲を聴く、ii) どんよりと暗い曲を聴く、の、実はどちらもそれなりに良いものです。i).の選択肢に飛びつきたくなりますが、私がここ半世紀ほどii).を選んでしまうのは、人格的問題か、いやそもそもそんな人格をこの気候風土が創ったのでしょうか...。いずれにしても、中世ルネサンス期の器楽なしの声楽かオルガン曲に限られてしまう現象があります...。

※ 左;ヤマハ創始期のリードオルガン組立工程 (YAMAHAウェブサイト) / 右;日本最大のパイプオルガン (サントリーウェブサイト)

「オルガン」と言ったとき、ニッポンの庶民の私たち(あなたも引きずり込んですみません)にとっては、昭和の昔まではどこの小学校にもあった「足踏み式オルガン」を思い浮かべませんか? これを今「リードオルガン」と呼ぶことにします。他方で、CDで聴くオルガンは、日本では「パイプオルガン」と呼びならわしています。

 昭和の(特に津軽地方の)小学校の教室に1年中必ずあったのは、黒板・机・椅子のほかに、足踏み式のリードオルガンと石炭ストーブです。私の小学校時代の担任のうちの、男性の教員は、思い出してみれば、リードオルガンの操作が、実にぎこちなく、本人もつらそうで、つまりはっきりヘタクソでした(す、すみません!!...)。小学校教員は、今でもですが、鍵盤も水泳も必須なので、教員採用試験のハードルは高いのではないかと、無能な私は尊敬するとともによけいな勘ぐりをしてしまいます。

 リードオルガンは、明治期に宣教師たちが大量に持ち込み、国産され、文部省の唱歌教育で教育の場に隅々まで普及し、戦後に個人宅でも備える家庭が増えたそうです。ピアノメーカーの山葉(ヤマハ)も河合(カワイ)も、出自はオルガン製造者です。が、その後、作曲者や演奏者が、個人的に、操作しやすく、かつ、より感情的芸術的ニュアンスを伝えやすいピアノに取って代わられたようです。

 パイプオルガンは、教会の構造の一部であって、建造にも維持にも莫大なコストがかかり、巨大で専門的です。現在は、私たち庶民レベルから見ると、典礼と芸術鑑賞用途のみで、日常生活には縁がない遠い存在です。

 ただ、LPやCDのおかげで、私のような末端の庶民でも、自宅で気軽に聴くことが可能です。

 でも、聴くと、ピアノを聴くのとも管弦楽や室内楽を聴くのとも違う気分です。もちろん、ミサや礼拝のような典礼に与っている気分ではない。けど、芸術作品を鑑賞している気分とも違うような気がします。何か、うまく言えないのですが、たとえば、自分用にきっちりPCで制作したリフィルを革手帳に整え、本来あるべき自分について、構想し、具体的に計画し、予定に落とし込み、達成度を確認し、これにより方向を修正し、...などといった、かるい緊張感のもとで、ちょっとちゃんと省察してみようか、という気になるんですよ。いや別に、オルガン曲を「机に向かって」「正座して」聴くハズがなくて、横になって聴いていたとしても、そういう気になります。

 ここまでまとめてみて考えると、なんだかこんな天候気候・風土のなかで一人で目を瞑って聴くという自分のスタイルができてきたのもしょうがないか、せっかくここまで意識したことだし、これからは少し目的意識を持ってオルガン曲を聴こうかなと思います。