2025/09/07

■ まなぶ ■ 教科書を読む - 中学1年国語『月夜の浜辺 - 中原中也 』


(東京書籍「新しい国語1 (令和3年)」)

昨夜は月齢14の"十五夜"の月が煌々と灯り、眠っていられないほどでした。日の出前の闇夜の4時にはもう厚い雨雲に閉ざされてしまいました。

 明け方、黒い山塊となった岩木山に見えつ隠れつする配置となる、西に傾きかけた上弦から下弦にかけての月の風情が、年間を通して、個人的には美しいと思う月の姿です。🔗2024/9/19

 それゆえ、中原の海辺の月の光景は、私はほぼ見たことがないです。が、"海にある月の光景"は、遠い憧れでもあり、うっすらとした恐怖でもあります。(🔗2024/10/12)

 中1でこの詩に出会ったら、ショックがありそうです。あった人がイマこれを書いているかもしれません。中3で寺山修司に会ったときも同じような...。

 言葉を、ていねいにじょうずに、しかし、人さまに向けたり、人の理解を得ようとしたり、"よそ行き"のために...というつかい方をいったん置いて、誰のためでもない、自分のためにつかって、できるだけいっしょうけんめい表してみたら、こうなのかもしれないな、とおもいました。

 でも、その醸し出す、ほの暗いなかで、何かが月明かりで小さく光っている光景(それが"きれいな貝がら"なら凡百の駄作でしょう)...。いまいる背景が、"海","闇"という深淵だけに、2つの小さな明りがあるせいで、かえって"恐怖心"が、ほんのりと、でも大きな背景として、ひろがっている気がするんです。


   -  月夜の浜辺  -


月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

なぜだかそれを、捨てるに忍びず

僕はそれを、袂に入れた。


月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

   月に向かつてそれは抛れず

   波に向かつてそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。


月夜の晩に、拾つたボタンは

指先に沁み、心に沁みた。


月夜の晩に、拾つたボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

2025/09/06

■ まなぶ ■ 文具店の"手帳見本"


水路に沿った歩道(🔗8/14)をあるいて、日々の買い物ついでにLoftに立ち寄ります。

 2026年版手帳が出そろい始めています。拝見するのが楽しみなのが、各社の店頭用見本(🔗5/6)。

 いずれの「書き込み済み見本」でも、自分で具体的に使う場面に当てはめてみると、次々とヒントとなって、あれこれ想像が膨らみます。


Nolty website

 いくつか見て、感銘を受けたのもののうち、能率手帳のNoltyについてちょっと。

 良いです。密度が高く、開発者によって込められた思いや努力の積み重ねが感じられます。見開き週間バーチカルと週間レフトがあり、個人的に前者に惹かれます。ビジネスパーソン向けですが、中高校生向け版も出しています。

 しかも、別途47ページに及ぶ「実践手帳活用術」という冊子もあり(オンラインでも公開)、フランクリン手帳の教えに比して、教条主義的色彩が後退し、やさしい語り口で、私でもすぐに始められそうです。

Nolty website

 まるっきり一人で仕事をしていたので、"24時間の休日"というものは年間0日だった過去二十数年間。大企業に雇われ会社の用意してくれた予定フォームを疑問なく利用し会社に予定管理してもらえればそれなりにラクかどうか知らないのですが、一人で多様な業務を分刻みで次々こなすにはどうすりゃいいのか悩むも、出来合いの手帳やフォーマットには何の魅力も感じず、予定の時間管理はMS-OutlookとGoogle Calendarで、構想や反省には、自分専用レフィルフォームをPC(MS-Word)とプリンタで作っていました(🔗8/7)。

 ...のですが、カックリと時間的に余裕ができたイマでは、OutlookやGoogle Calendarを使って分刻みで管理するほど目まぐるしい予定などなく、むしろ、わざわざお金を出して既製品を買い、それを重圧にして、時間を浪費したり徒過しないように指示される方がよいのかな、とさえ思っています。

2025/09/05

■ あるく ■ 田んぼの色づき


日中のさんぽはまだまだ暑いとはいえ、ふりかえると、お盆過ぎたら朝晩ひんやりするようになった夏でした。

 天気は安定しないのですが、あちこちで風水害のニュースを毎日のように聞きますので、ほんの偶然で運よく災害を免れていることに感謝して、あるけるときにあるきます。

 今日も1万3千歩、見晴らしの良い往来が疎な農道を、音楽を聴きながらあるきます。音楽を聴けるのも、あるく楽しみです。


 と、もう来週は稲刈りなのですか。"新米"は、私にとっては、年が明けてみるとまるで一瞬にしてはるか遠い奢侈品となりました。食べたことのない・食べることもない果物やお肉やお魚と同じ位置づけになるみたいです...。もともと「食べる楽しみ」はよくわからないので、それはそれで。

 そんなことはともかく、秋めいた風が吹くなかこの実りの風景を見ながらあるくのは、いつもこころなごみます。今年のお米は、幸せな豊作でありますように。