2024/11/28

■ きく ■ シューマン 交響的練習曲 Op.13


イェルク・デムス(Jörg Demus)によるシューマンのピアノ曲全集、CD13枚組のうちの6枚目に収録されています。全集は主に1960年代のステレオ初期の録音ばかり...。

 1980~90年代、東京でしがない大学生やバイト生活の頃に、「全集版」としては出ていなかったのですが、この人のLP1枚1枚を、図書館で借りた感じでしょう(文京区の小石川図書館や真砂図書館でした)。演奏家がどういう人だかわかりませんでした。今もよくわかりません。

 その後、なじみあるその演奏家の、CDになり廉価となった全集を2008年頃に購入。

 ところで、話は飛ぶのですが、「その曲にまつわる逸話」「その曲が描かれた背景」「その時の作曲家を取り巻く状況」「それを演奏する演奏家の逸話・受賞歴」など、実は、個人的に嫌悪感があります。吹聴するあなたの「事情通」な博識を大いに尊敬いたします...とはまったく思えないです。そのゴシップ情報は、自分の、あなたの、現実存在に、何か影響を及ぼしますか? 無前提で音楽だけ聴けないものなの?(🔗2023/3/22)...と強く意識したのが大学生の頃。

 その発想の延長で、その後のCDの時代になって、シューマンの場合、同じ鍵盤曲でも、バッハやハイドンやモーツァルトやベートーヴェンのように、または、シューマンの歌曲集のように、彼のピアノ曲に「親しんでいる」というわけじゃなかったので、これを機に、「シューマンのピアノ曲」の聴き方としては、CDの利便性を活用して、「曲名がずっとわからないままつぎつぎと聞いていこう」と、実験でもするみたいに決めました。

 この発想で当初、ハイドンの交響曲104曲余りを、「CD数十枚組ボックスセット」などで全曲聴けるようになって、「104曲全曲を、番号や表題など全く知らないまま通して聴く」ことにトライしたのですが、十代の頃から知っている曲も多く、また、104曲CD数十枚といえど、1回・3回・10回・100回と繰り返して聴くと、感性の鈍い私でも、作曲技法や楽器編成について、様式や時代の区切りやステージの違いを感じ、結果、ある程度体系的に分類や位置づけができてしまいます。

 他方で、シューマンのピアノは、その手で、この曲がなんていう曲か、極力知らないまま聞き続けてきましたので、「子供の情景」なんだか「クライスレリアーナ」なんだか「ダヴィト同盟」なんだか、今もって十分区別できません。同様に「天国的長さ」のシューベルトのピアノソナタ全集でもそんな調子です。

 ですが、デムスの13枚を通して聴いて、やはり、既知の曲、けっこう詳細を知っていた曲があり、それが「交響的練習曲」で、13枚の中では、どうしても突出した高みに位置付けてしまっています。もうこれはどうしようもないかな。ルービンシュタインやアシュケナージやポゴレリチやで幾度も聴いてしまっていたからでもあります。彼らのことはイマは目をつむって捨象しましょう。

 この、自分の中では、シューマンの全ピアノ曲のうちで突出してしまった存在の曲ですが、どういう経緯で作曲されたか、などわからないです。が、ただ聴き続けているってだけの人間の感想を、しかもやはりそのほんの1つの細部についてのみ、書いてみようかな。

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 このOp.13のテーマ、C#-G#-E-C#の動機がずっしり重く暗く、続くEtüde 1、Etüde 2と、重い軛を背負ってあるいていかなくてはなりません。それゆえ十年以上も、「さぁ聴こう」と手が伸びるような1枚ではなく、好きになれなかった曲でした。

 また、終曲のEtüde 12の、力いっぱい輝かしい変ニ長に転じた大音響も、鬱々と悲観的な20代を暮らした私には、むしろ苦痛だったかも。そう言えば、ベートーヴェンの「運命」を聴くとしても、2楽章と3楽章のみ聞いて、途切れなく突入する4楽章の直前0.1秒で針を上げるマネをしていました...。

 じゃ、好きな曲でもなければ「突出した存在」にもならないじゃないか、という言われるのもごもっとも。ただ、この曲を思い出すとしたら、ポリーニの演奏による、まるでか細いように聞こえるEtüde 3でした。

 すぐ上に書いた通り、Etüde 1は、低音の左手の打鍵で続きざまに心臓を衝かれるようです。続くEtüde 2は、エスプレッシヴォとして強くも暗いそれ。4拍子の、1拍1拍を6分割して、傷つきつつふらつきつつもズシリズシリと地を震わせて歩みます。


 ところが、Etüde 2の最終音のスフォルツァンドのペダルが解放された瞬間、まるで、氷で覆われた巨大な岩のわずかなすき間から、清らかな水がひとすじ、つかまらないとらえられないような軽いアルペッジォのEtüde 3が、さらさらキラキラと流れ出、逃げていくかのように、あらゆる重荷をふりすてて軽やかに進みます。重さにメゲていた自分の気持ちが、やっと気づいて、あわてて追いかけます。


 突然、すべての罪過を赦してもらえ、ふさがれていた口と鼻から覆いがなくなり、呼吸が楽になったことに、やっと気づき、軽く明るく透明な、ごくか弱い、水のような風のような流れを、すがるような思いで追いかけます。

 この右手の軽く小さいスタッカートの分散音階を一瞬思い出すだけで、この曲を聴かずにはいられない気持ちが溢れます。

 ずっと、デムスの、少年のような情熱と包むような誠意あふれる演奏で聴いてきました。古い録音で、木質な、響きの少ない、硬いタッチ。中部ヨーロッパのベーゼンドルファーでしょうか。聴く分には、感情の起伏も穏やかで、じっくりとこころあたたまります。他方、ポリーニの、天上を舞う夢のように軽やかなタッチと透き通るデジタル録音で、響きの広がりと美しさ・滑らかさのおかげで、このEtüde 3の小さな流れに、あっと気づいた思いでした。


 シューマンの曲すべてに想うことですが、同世代同年齢のショパンと対極的なのは、シューマンの「内から突き上げ横溢する湧き水のような自発性」「疑わなくてよい誠実さ」だと感じます。

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 デムスのCD13枚組を、PCにリッピングし、microSDカードにコピーして、古い8インチのタブレット+JBLの肩掛けスピーカー(🔗2023/12/1の画像)で聴きます。13枚組だろうと途切れなく連続演奏してくれて、所用の無い日は、1日で13枚はすぐ聴き終える感じでしょうか(JBLは充電池が切れますが2つ所有していますので交換しつつ...)。

  1曲1曲にまつわる知識も標題名も先入観もまったく無いままサラサラとシューマンの感情が流れ出して、私には理想的な聴き方の1つです。ただ、そのときでも、CD13枚のうちのこのSymphonische Etüdenはいったんスキップして、その後また、無知な私にとっては無名であっても心から溢れ出る無数の音楽を、聴き続けるのですが。

2024/11/27

■ あるく ■ 秋晴れの津軽平野

■ 最後の秋晴れ、かな...。日が傾きかけ、空気はヒヤリと澄んでいます。

■ 津軽平野と言っても、広くて、どこだかさっぱりわからない言い方なんですが。

 南を望むと、右に岩木山、左に八甲田連峰が、広い水田地帯の果てに、遮るものなく見える気がして、ほんとうに清々とした気分になります。

 かなり高層の巻積雲(うろこぐも)が、昨日今日とクッキリ。いまはおだやかな秋の夕暮れ前ですが、もう天気は下る一方の気配です。

2024/11/26

■ まなぶ ■ 二槽式洗濯機


■ 
タイトルの洗濯機に何をまなぶんだ、って? 

 個人売買に出した品が意外に高額になってむしろ焦った話を書きましたが(🔗11/24)、この数か月で、4,5件そのような事態に遭遇しています。

 今日は、「高額」ではないんですが、似たような驚いた経験を。実は、昨日の午後から今朝の話です!

 東京で一人暮らししていた後半、平成の最初期に(またずいぶんと古い...30年以上前にさかのぼるのかよ...)、洗濯機を新調。といっても、当時すでに少数派で現在では絶滅危惧種の「二槽式」。しかもごく小さく、最小水位でたった1.0kg洗い。最大でも2.5kg洗い。一人暮らしの学生や社会人に向けた商品です。大学生協から1万円チョイ程度で新品購入。

 それが、あろうことか、いまだに青森県の実家倉庫にありまして...。いろんな物の下にうずもれていたほころだらけの箱で、コレがいったい何だったか、近づいて埃をこすらないとわからないほどの状態です。

 二槽式洗濯機だなんて、いまどき使っているおうちなどあるはずもなく...。昭和の遺物。表示によると「SANYO 三洋電機(株) SW-S7 (色;TB) 二槽うず巻式 1992年下期製造。

 おっくうですが、棄てましょう。もう晩秋の晴れ間もこれで最後。来週からは雪を覚悟して、早く作業を完了させなくては。

 洗濯機のリサイクル処分はやはり何千円かかかりますので、あの昭和のTV同様(🔗10/22)、自分で分解して廃棄処分することにしました。今度は筐体が大きいので、電動工具に、インパクトドライバのみならず、レシプロソーと、その刃をプラ用・鋼板用と用意。

  30年以上の永い眠りを経て本体を取り出し、日の下に晒し、解体前に屋外でほこりを払い、ひとまずウェットウェス(濡れ雑巾)でキレイに拭きあげて...みると、ピカピカと...。


  移動や持ち運びをするものじゃないので、外観はピカピカです。メカニズム的にも、メンテナンスポイントがほとんどない最も単純な家電です。ひっくり返してペンライトを照射して電気系統をたどり、コードとアース線の被覆の無事を確認し、給排水路を確保し、コンセントとアース線を挿し、水を張り、試運転したら、まるでさっきまで働いていたかのように、何食わぬ顔でふつうに作動し、洗いも脱水も終了...。

  コ、コレ、破壊しないで、誰か活かせる人がいるんじゃなかろうか...。そういえば、知り合いの自動車整備工場で「軍手やウェスやつなぎ作業服洗い」に、近所の美容室でタオル洗いに「二槽式」を使っていたのを思い出し、声掛けしてプレゼントしようか、いや、もしかしたら、現在でも職業系の用途があるのかなだろうと思い、調べてみました。

 すると、おぉ、現在でも新品で販売されているんですね。

 やはり根強い需要があるようです。

 まなんだ事は、全自動にない長所として;・構造が単純で壊れにくく、修理もしやすい。 ・カビがはえたり異臭の元になることはない。 ・モーターは小さいが洗濯槽も脱水槽も小さいのでむしろ強力。 ・洗濯とすすぎの工程を同時進行や片方だけ進行できる。 ・ ゆえに短時間にむしろ多い量を洗濯可能。 ・石鹸水や仕上げ剤などその都度捨てずに使い回せる。 ・汚れ具合によって、水量も洗濯時間も洗剤の量と種類も微調整や節約が可能  ・本体価格が安い。・日常衣類とは異なる汚れが出る洗濯もの専用で清潔、・サブ洗濯機として有益...なんとメリットが多いことでしょうか。

 解体廃棄やリサイクル廃棄の手間や費用を考えると、私なら0円で譲渡したいです。でも、通常の個人売買サイトだと、送料だけで数千円か...。

 そこで、主に地元の人たちの間で対面手渡しができる個人売買サイトを選び、「二槽式洗濯機完動品¥1,000(即決価格)。半径50km以内なら当方が軽トラでお届け(¥1,000は配達のガソリン代のつもりです)」、ということで、詳細な経緯や製品諸元を書いて、出品しました。昨夜の話です。

 驚いたのは、15分後に「ぜひお譲りください」といきなり連絡が来たこと。近隣の企業的りんご農園経営者の方でした。年内最後の多忙が終わる来週に向こうからロープ持参でトラックで取りに来るとのこと...。その30分後に、一般家庭の主婦の方から「お譲りください。先客がいるならキャンセル待ちをします」...。さらに2時間後に製造業自営業の男性から「仕事で使いたい」...。今朝6時になって植木趣味のご年配の男性から「ぜひ」...。もうさっさと受付終了としないと次々と来そうでしたので、あわてて出品表示を取り下げました。

 私の側が世間知らずでもあるのですが、ずいぶん不思議な思いをしました。そんなに需要があるものなのですね。

 二槽式洗濯機の現在最先端の利用形態、見直すべき長所、なんでも解体して棄てればいいってもんじゃぁないんだ、...など、1992年製の洗濯機からまなびました。