2025/09/03

■ まなぶ ■ 教科書を読む - 中学1年国語『矛盾 - 「韓非子」より』


中学1年生の国語で学ぶ「漢文」は、歴史的仮名遣いの"書き下し文"のみです。その下に現代語訳が。白文に訓点返り点を打った"訓読文"は中学2年生になって初登場となるようです。

 "楚人に盾と矛とを鬻ぐ者有り。之を誉めて曰はく、

「吾が盾の堅きこと、能く陥すもの莫きなり。」と。又、其の矛を誉めて曰はく、

「吾が矛の利きこと、物に於いて陥さざる無きなり。」と。或ひと曰はく、

「子の矛を以つて、子の盾を陥さば、何如。」と。其の人応ふること能はざるなり。"

 訓点も句読点も、教科書(東京書籍『新しい国語1(令和3年)』)のまま書き写しています。"或ひと"と"其の人"の表記に矛盾が...(じ、冗談ですよ)。

 中1の方にとってみれば、訓読文は無いにしても(1枚めくってすぐ『古典コラム』と称する小さい活字のコーナーに出てくるのですが)、歴史的仮名遣いだけでも、違和感でいっぱいではないかとお察し申し上げます。

 とある自称「県内有数の進学校」の高校2年生の「現代文」の教科書をうっかり拝見した経験があるのですが、鷗外の『舞姫』の雅文体本文脇に、0.2mmのシャーペンで、現代語訳(?)を必死に書き込んでありました...。書き込むその努力がスゴいッつっていいんでしょうか。当然のように(?)4ページ目くらい書き込んだところで挫折していました...。私には衝撃的でした。ぜひ中1から古典には親しみましょう。

 この中1教科書は、次のようなおすすめ4行でこの単元を終えています:

 " 声に出して読んでみるとよく分かりますが、このように中国古来の漢文を日本語として読んだ文章からは、格調が高く引き締まったリズムを感じ取ることができます。それに対して、日本古来の大和言葉には、しなやかな美しさがあります。その二つが存在することで、日本語はより優れた言葉に高められてきたのです。"

2025/09/02

■ あるく ■ 土手にあがって

東の空
大橋

夜が明けて、あるいて3分の土手に上がります。

 と言っても、昨日の朝の画像です。最近毎日、空が明るくなったら(現在の日の出の時刻は5:07頃)とりあえず外の空気に触れることにしています。

西の空
(取水塔と河川敷のソフトボール場)

 昨夜から強い雷雨で、今日は日中ずっと思い出したかのような驟雨と雷鳴。雨が降るごとに、朝晩気温が下がるような気がします。

 地元紙「東奥日報」のコラムに「私の好きな風景」という、特別偉い肩書などつけないままのふつうの地元の老若男女の皆さんが毎日かわるがわる登場して語るシリーズがありました、ま、数十年前の話ですがネ。私の父親がこの中で「いろいろと特別な光景はあるだろうけれど、自分は幼少時代から、この土手にあがって、景色を見渡すと、心底ホッとする」という旨のことを申しておりました。その頃(彼の"幼少時代"は昭和の前半, 戦前の頃)は、こんな大きな橋(トップ画像)は影も形も存在しなくて、一面見渡す限り葦野原だったでしょう。

 様変わりしたとしても、私も、机に向かう近視眼的な生活から、住宅街の小路を抜けて土手に上がると、やはり同じ思いかもしれません。

2025/09/01

■ まなぶ ■ 健診結果



先日🔗8/16の健診結果がもう郵送されてきました。2週間で結果を拝見できるのは異例の速さです。郵送なので、重大な異常はない模様。

 開封すると、ひとまずすべて"正常範囲"でした。

 とは言え、検査の侵襲に苦しんだ胃透視検査は、胃がん健診としては所見なしですが、良性病変の胃炎がやはりありつづけています。胃炎だったり、毎年個人的に受診している内視鏡では食道炎だったり(🔗1/30)。見つかったり見つからなかったりと、毎年うっすらとあり続けています...。


 BMIは20.86に落ちました。この1月に、徒歩7分の積雪放置状態の公園の吹雪のなかで、毎日クロスカントリースキーを楽しむようになって以来(🔗1/9)、毎日の食生活と運動量は少し気を遣うようになりました(🔗3/2)。

 正常異常閾値付近の項目は無く、正常判定です。が、それが永遠に続くわけもないですから、意識して過ごすようにします。