■ いいえ。
■ 今日は、とんでもなく不謹慎なことをば。
■ 1) 筋がくだらなすぎる...
■ 同じ声楽曲でも、ドイツ・リートが、野辺に咲く小さな花だとします。誰に見られるともなくポツンと咲いてしおれていく。簡単に動物や人に蹴散らされます。が、だからいっそう魅力的だったりします。
■ 対して、オペラは、温室で見事に咲き乱れる大輪のバラのような美しさ。見る人すべての溜め息を誘います。
■ オペラの最高傑作は...、そりゃ人によるでしょう。が、無知な私でも博覧強記のオペラファンのあなたでも、「カルメン」「フィガロ」とまず指を折るのに、血相変えて反発するヒトはいないでしょう。じゃだったらすぐ次は「セビッリャ」「椿姫」「リゴレット」「蝶々...」と次々と堰を切って溢れ出てきますか。
■ 音楽の美しさ、イタリア語の母音とリエゾンの滑らかさ、いずれも悦楽と心地よさの極致です。全方位総合芸術として人類が極めた音楽芸術の頂点を感じます!
■ ...意味さえ知らずにすめば、の話ですが...。
■ つまり男と女の情欲のどろどろでは...? いったんその言葉の意味・筋・ストーリーを知ると...そりゃ10代20代のヒトならば血沸き肉躍るドラマでしょう(かつて私はそうでした)が、自室で一人で聴いてワクワクしますか、もはや10代20代でない私やあなたは?
■ どろどろは、"18世紀のセビリアを", "華やかなパリの街を", "エキゾチックなナガサキを", "ナポレオン戦争のイタリアを"という目くるめく豪華絢爛な歴史を舞台背景にして盛り上げてもらえるのは確かですが、そういった化粧の皮を剥くと、やはり昼のソープドラマ、ライオン奥様劇場そのものでは。ま、それが、古今東西、永遠にウケているわけなんですが。
■ え? 男と女のどろどろでないオペラもあるって? 「魔笛」とか? あの、ゲーテも度肝を抜かれた荒唐無稽支離滅裂な話の筋は、確かに誰もが認めざるを得ないです。思うんですが、あの話さ、19歳頃に知って、ちょっと意地悪に考えた:開幕直後に、美しい王子タミーノが、大蛇を見て気絶する...そこに現れた夜の女王の侍女たちの魔力で蛇を退治する...勝利の曲。ソレで全幕終了しても、おかしさは同じじゃない? いやむしろかえって爆笑できるかも...。(← と、とんでもねぇ野郎だ...)
■ 男女のどろどろがけしからんのだったら、「高邁な」物語ならいいのかよっ, て?
■ "モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」や「フィガロ」は、「天才の乱用」「好色」"と憤った高邁なベートーヴェンその人のオペラはというと、「フィデリオ」=「レオノーレ」ですか? 男女のメロドラマそのものではないかもれないけど...。厳格な押韻のドイツ語とギリシア彫刻のような端正でドラマティックな楽曲構成...。でも上演回数は...。どろどろ大好きなおめかししたスノッブな客たち、来るかな...。
■ 80年代の映画"Amadeus"で、モーツァルトが皇帝ヨーゼフ2世やイタリア人音楽教師らの前で語ったアメリカンイングリッシュなセリフを以下に(私のデタラメな意訳ですが);
■ オーストリー帝国の国立歌劇場という皇帝も天覧する高貴な場で、トルコのハーレムという不謹慎な舞台("Entführung aus dem Serail" Kv384)を題材にしようとしたモーツァルトに対し、皇帝お抱えのイタリア人音楽家たちがモーツァルトのドイツ語オペラの構想をあざ笑います。モーツァルトは冷静に反論:
"Watching Italian opera, all those male sopranos screeching stupid fat couples rolling their eyes about. That's not love. It's rubbish!
(イタリアオペラを見ろよ。男どもが金切り声で目を回して太った男女どもを追い回す...愛どころか滑稽だ)
■ フランス革命直前、皇帝が発禁処分した「フィガロの結婚」をオペラの台本としようとしてバレ、皇帝に審問された際、皇帝の側近で、イタリア音楽の優越性を認識しつつ、ドイツ音楽の育成や異端児のモーツァルトにも大きな理解を寄せるヴァン-スヴィーテン男爵に、こう諫められます;
"Why waste your spirit on such rubbish? Surely you can choose more elevated themes. (なぜそんな下品なことに才能を浪費するのだ? もっと高尚なテーマを選んだらどうだ)"
■ カっとなったモーツァルトが、堰を切ったように反論します;
" Elevated!? What does that mean, elevated? I'm fed to the teeth with these eleveted things! Old dead legends. Why must we go on forever writing of gods and legends? (高尚な、ですって? どういうことですか。もううんざりだ、そんなもう死んでる神話だなんて(ヨーロッパ古典のギリシャ・ローマ神話のこと)。なんだってそういつまでも神様だの神話だののことばかり続けなくちゃダメなんだ)"
■ 皇帝の前で、男爵は模範解答を諭します;
"Because they go on forever. At least what they represent: the eternal in us. Opera is here to ennoble us, Mozart. (価値は永遠不滅だからだ。少なくとも存在している限りは、我々にとって永遠だ。オペラは我々の魂を高めるようなものであるべきなのだ。)"
■ 自制が効かなくなったモーツァルト;
"Huh, 'Bello, bello, bello!' Come on now , be honest! You'd rather listen to your hairdressers than Hercules. Or Horatius, or Orhpeus. People so lofty, they sound as if they shit marble! "
(は!そうですかいそりゃけっこうで。頼むから正直になろうじゃないですか。ヘラクレスなんかどこがおもしろい? ホラティウスだのオルフェウスだのって! エラい高貴なんだな、奴らは大理石のウ〇コでもすんのかよ!)
■ ギリシャ神話を題材にしたって、聴衆なんか寝てしまいます(高校古典で紫ブゥだのセーショーなゴンだのつれづれなるままに世間のゴシップ大好き坊主の話で高校生が寝てしまうようなものです)。かといって、私は男女のドロドロにもワクワクしないです。
■ 2) 音楽は卑屈な奴隷に堕してしまう...
■ オペラ演奏会場の社交的でハイソでスノビシュで華やかな雰囲気。今日も、高級レストランに行くようなおめかしをして、いかにもふだんからハイソでござい、と言わんばかりにして、しずしずと次々客がやってきます。本来、抽象的でデモーニッシュな存在であるはずの音楽を奏でるオーケストラは、音楽などどうでもいい社交の場に集まるスノッブな金持ち客たちの靴でも舐めるかのような低くて真っ暗な穴倉にて(オーケストラピットとも言う)卑屈に裏方に追いやられ、バカげた痴話話の歌詞の伴奏という場末のバンドマン連中に成り下がります。
■ 以上2点、けっこう50年ほど溜めていた貧民のルサンチマン感情でしょうか...、でしょうね。
■ でも、オペラファンの、例えば上野公園で音楽系大学生のグループが、「パヴァロッティのドタキャン、オレも食らわされたことがある」「クライバーの"こうもり"には椅子から1m飛び上がっちまった。軍隊式か?」「ガーディナーの"オルフェオ"もその徹底的な統率は似てるんじゃ?」「ジェシー・ノーマンが"トリスタンと..."に好適だとして、"ラ・ボエーム"のミミになるって想像できるかよ?」などとおしゃべりしているなら、話に加わるのはワクワクするような腹の底からの楽しさがありそうです。
■ 対して、動物園脇から谷を降りてまた坂を上がった旧帝大系大学生のグループが「ベートーヴェン"大フーガ"さ、バリリの50年代のモノラルとさ、アルバンベルクSQのEMIにスタジオ録音したボウイングの類似点って...」「あ~、オレも子どもの頃、サントリーホールでアルバンベルクの、大フーガじゃないけど16番の”Es muß sein"の箇所をナマで聞いてチョっと気づいたカモ」などの議論に参加しなければならないとしたら、参加前にもう身辺整理して自分の生命保険の受取人を確認してから覚悟を決めて出かけなきゃダメです...。
■ てなワケで、オペラは肩ひじ張らずに楽しみたい分野です。と言って、別にベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲を正座して聴くわけじゃぁ無いんですがね。
■ などと言っても、私なんか、じゃお気楽にオペラ演奏会場へ、なんていう場違いな状況に投げ込まれようものなら、緊張して、右手と右足を同時に出してロボット歩きをするのが関の山です。
■ そんなヤツなんか、すごすごと自室に引きこもって、ムリせず背伸びせず、ブラームスのヘンデルバリエーションでも、VRDSメカのCDプレーヤーにアキュのセパレートPアンプ、マジコQ1で、一人寝袋にでもくるまって、蓑虫みたいになって寝そべってのびのび聴いて、悦に入っていれば人生至福のひとときなんですよ。
■ センター試験過去問英語の最後の長文問題に、オペラの話題があって、そのことを書こうと思ってキーボードをたたき始めたら、こうなっちゃった。明日にします...。