2024/06/25

■ なおす - 万年筆修理


ペリカン M1000という万年筆を、洗浄しようとしてペン先ユニットを回して外し、洗浄後、元に戻したところ、ペン芯と金ペン先が離れてしまいました。M800ではふつうにデキていたのですが、M1000はペン先ユニットが回りづらく(硬くて)、今回初めて強引に回したら、この惨事に。

 自分では治さない方がいいと思い、弘前の平山万年堂に駆け込みました。

M1000ペン先ユニット参考画像

 ここでは、何度か手持ちのさまざまな万年筆を手直ししてもらっています。

 間口一間半の、初めて訪ねてくる人なら見逃してしまいそうなお店ですが、創業は大正2年、111年続いているとのことです。


 いつも父子2代でお店に。「子」といっても私と同年代ですので、「父」はかなりのおじいさんです、が、はつらつとした楽しいおしゃべりをしてくれます。彼は、50年前に私が下宿して世話になったお寺(🔗→ 2023/06/01)の先代住職と同年配で、その先代住職は、良い顧客だったようです。

 先代住職が、しょっちゅう立ち寄ってはしゃべっていく、その時にタバコを吸う、そのタバコの灰をいつまでも落とさないので、タバコに火がついたまま灰が長~く伸びて気が気ではない話を、私が行く都度、思い出しては話してくれます。

 他方、そのお寺の、現在の住職(私の従兄ですが)は、父にあたる、亡き先代住職が、平山万年堂にしょっちゅう立ち寄っては、筆や墨を、ツケ(後払い)で持ってくる、アトからお寺に請求や取り立てが来て、えっ、と思うこともしょっちゅうだった...とのこと。先代住職は、たしかに、ユーモアに満ちた人がらだったのですが、黒々とした高級そうな墨による達者な手は、まさに達人でした。

 ...などと思い出しながら、今日は、このお寺に一言挨拶をして、クルマを40分ほど駐車させてもらい、徒歩にて、弘前市内の繁華街にある平山万年堂に出向き、ペリカンM1000を持ち込みました。

 おじいさんは見てすぐ「今日はペリカンか、ちょっと待って」と選手交代。私と同世代の現社長?がペンを手に取って、少し奥に引っ込んで、すぐ直して持ってきました。

 お互い試筆してみて、今回は簡単にうまく治ったようです。


 M1000の書き味は、同社のM800以下の他の万年筆や、他社の万年筆では、まったく得られないかけがえのない書き味です。何本も欲しいくらいですが、今の価格は私が手を出せる次元ではなくなってしまいました...。平山万年堂に持ち込んで、事なきを得ました。

 治してもらう時間3分。おしゃべりが15分でした...。

 今後は、M1000は、インク吸引時も水洗い時も、おとなしく回転吸引機構のみを使うことにします...。

2024/06/24

■ こわすつくる - 元・実家の解体


■ 売却した実家の解体にとりかかり始めてもらっている話。

■ 今朝見ると、昨日のうちに、飛散防止の養生シートがキレイに貼られていました。

■ 50坪の家、これから何日で解体完了するでしょうか。

2024/06/23

■ あるく - 灯台の霧信号所


薄曇りで暑いのですが、乾いた風が吹いています。三陸沖の太平洋上に低気圧が遠ざかっていて、今日は、この内陸の田園地帯にも、ヤマセと混じったようないかにも海風という、強い東寄りの爽やかな風を感じます。

 先週このサイトに海の光景を載せました (🔗 → 6/17 )。実は1年間ウェブログを続けて、初めての「海の画像」。海は、内陸平野部の農耕民族のエリアに生まれ育った(?)私には、その光景、音、香りが、一体となって、漠然とした大きな開放感と大きな恐怖感があります。

 初夏から夏にかけては、少し親し気な表情があるので、積極的に浜辺の風に吹かれてみたい気がします。

 先週も感銘を受けましたので、今日も海の景色のある休日の雰囲気を味わってみたいです。

 昼過ぎに山岳部を越えて1時間半、陸奥湾沿岸の町蟹田に出ました。25年ほど前に1度来たことがあるだけのなじみのないエリアです。

 海岸線に沿う細い国道を北上すれば、津軽半島北端の竜飛岬です。今日はそこまでいかなくても、沿岸部の漁港のある小さな町をいくつかゆっくり通り抜けて帰りたいと思います。

 平舘(たいらだて)漁港の北側に、江戸風情のある浜辺の松並木の旧道があります。その一角に、灯台があります。


 灯台は、私には、なじみのないエキゾチックな非現実の構造物です。いきなり別世界感に包まれます。

 この灯台は、120年前の創建です。北海道全域や青森といった、津軽海峡から日本海にかけては、明治後期に、対ロシア全面戦争を視野に、国家的事業として大掛かりに近代的な灯台が次々と設置されていきました。

 灯台の敷地に、霧笛、正確には、「霧信号所」がありました。私は、人間の理性や知恵を信頼できるようなこういう装置には、心躍るものを感じます(cf. 🔗→ 1/1 )。当地のものは、明治36年(1903年;日露戦争前年)の、日本初のダイヤフラム(電磁力)式ホーンです。

 陸地に備え付けられる霧信号所は、18世紀以来の300年近くにわたり、霧砲、鐘、蒸気汽笛、圧縮空気汽笛など多様な発明がなされましたが、この20年間で電波航法システム、レーダー、GPSなど航海計器がいきなり新たなパラダイムに昇華したので、これら300年の歴史を誇る航路標識システムが一瞬にして退役し、霧笛を聴くことは生涯不可能になりました。

 もしも現場で現実に聞いたら、さぞ...恐怖のどん底に陥るでしょう、私などは。ちょっと残念。

 遠い憧憬のまなざしで、想像しつつ眺め、後にしました。