2023/09/12

■ こわすつくる - 「ウラ紙」の効用

※ カレンダーの裏に落書き中...

書くための紙のうち、オモテ面に印刷または書き込みがあり、ウラ面が白いものを、いま、「ウラ紙」と呼ぶことにします。

 日常生活で、ウラ紙はたくさん発生します。

 うち、「はがしたカレンダー」「郵便物」のように、比較的定期的に外来する紙があります。

 あなたの場合、「はがしたカレンダー」は、そのまま、また、「郵便物のうちの『大切なお客様へ』という不特定多数に宛てた買い物勧誘レター」は、チラっと見て、いずれもスグごみ箱行きですか。

 上二者のいずれも、マットコート紙のような塗工紙だったり高秤量の超上質紙だったりして、少なくとも私がふだん使うPPC用紙より、いやおそらくあなたがカネを出して買っているノートやレポートパッドより、上質な紙を使っています。

 とすると、あなたや私は、品質がより良い紙を捨て、より悪質な紙をカネを出して買っているというばかげた生活をしています。

 とは言え、その「良い紙」とやらが、自分が書く目的を遂げられる程度に安定供給されているわけでもなし、サイズが統一されているわけでもありません。だから捨てるんですね。

 この「カレンダ類」「レター類」の二者を、私は、実は、万年筆筆記用に、裁断機でA4に切り、さらに二分してA5サイズに切りそろえています。封筒もです。廉価な茶封筒もです。封筒類は切り開いてA5に切りそろえます。

 万年筆を使う目的は、何度も言って申しわけないのですが、人に提出するためでもないし、長期保存するわけでもなく、保存してあとで参考にする体系的な内容を書くわけでもない...。単に、「書き味を楽しむ」ためです。世間様一般のなさる「おいしいものを食べる」「おいしいお酒を飲む」「ご旅行やおでかけをする」などといった「楽しみ」と同列です。美食もおでかけも万年筆も、じゃぁ、無くて良いのかというと、無くて良いです(肉も魚も何年も食べたことがないですし旅行も半世紀ほどしてないですし)。でも、もし、あれば、生活や人生にうるおいがもたらされる点で、誰しも捨ててしまうのはむずかしいのではないでしょうか。

 で、その世間様と同列の贅沢を味わってみたいがために、「万年筆で、上質な紙に」いろいろと書いてみるひとときを用意したくなるというワケで。

 その万年筆ですが、高級で華やかな輸入品ではなく、数百円のつけペンや仏壇カラーの国産パイロット製品で、またその上質な紙とやらですが、カレンダーのウラだったり切り開いた封筒だったりするワケです。なんともまぁつつましくもみじめたらしくも涙ぐましくもある「贅沢」で、いっぱんにそんなことは「贅沢」の範疇から除外されると思いますが、私には心おどる贅沢そのもの。

 というわけで、上の「ウラ紙」類を、月1回程度、まとめてA5に切りそろえたら、プリンタで罫線を印刷します。その際は、罫線の有無や種類や幅や間隔や色の設定を変えます。その設定は、たまたま今回揃った紙の量や紙質や、たまたま今の時期に関心があって書きたいと思うもの次第です。さて、PCのおかげで、カラフルな罫線で思う通りの単票用紙が用意できました。

 書き始めます。万年筆なので、日本語でなくて、英語とか仏語とか独語とかラテン語です...というとカッコいいですが、だいたい不器用に何かを丸っと書き写すだけです。たまに、カタコト単語で「アイディア出し、思った事」も書きなぐってみます。書き終えたら処分します。今回使わずに余った紙は、取っておいたっていいではないですか。

 紙質が良いし、しかも、「もったいない」「失敗したら...」などとった遠慮はいらないので、ペンの走りは爽快です。思う存分の文字の形や大きさで書けて、じっくり太字&染料インクのインク痕を味わったり、速度を上げてインクが飛び散るような勢いで筆記体を書き進んでみたり、自由です。

 すばらしい「こころの解放」になっているひとときでは!?

 ここまできてやっと、めでたくウラ紙を処分...ですが、さらにまだ待て。処分とは、つまり、この良い紙で、生活する上でどうしても発生する台所から出る水分を含む廃棄物いわゆる「生ごみ」を包みます。請求書だ宛名だ税務署の催告書だ(?)などといったシュレッダーが必要なプライバシー満載の紙も、濡れた野菜くずのせいで内容の判別性はもはや絶望の境地です。したがって、私の場合は、個人の生活上あらゆる使用済みの廃棄すべき紙は、最後には、このような包装紙となってごみ箱にいきます。ゆえに、たまに見聞きする「廃棄する際, “くしゃくしゃに”  “丸めて” “破って” 捨てる」という、廃棄直前に人力で加圧した加速度的な力学的エネルギーをあえて付加した上で捨てるという行為は、私の知能による理解の埒外に存在する異質の価値観に基づくものと推測します。

 ■ 「こころの解放」な~んて言いつつ、実態は恥ずかしいことを告白してしまいました...。

2023/09/11

■ まなぶ - 鉛筆を使って - 単語集で楽しむ


先週の今日9/4の単語集ですが、一所懸命解くぶんには有益な本ですが、正解不正解に頓着せずに置かれた選択肢から出題者の意図を見ると、悪魔のような...(;^^A あ、いや、その、少しずつこれを暴いて 解いて、いっしょに語彙を増やしていきましょう。

選択肢から選ぶ試験方式です。別な選択肢をあてはめて想像してみます...(訳は拙訳です);

問. The designer of that wonderful new space rocket must have been an (  ) engineer.

「あのすばらしい新型宇宙ロケットを設計した人は、(   )なエンジニアだったに違いない」

選択肢; 1. ingenious   2. ingenuous   3. inept  4. iniquitous

どれも語頭が母音の形容詞で、不定冠詞anを置いてengineerを被修飾語句として文法的には正しく成立する英文です。意味としてどれがふさわしいかなぁ。

1. を選んでみましょう。

「あのすばらしい新型ロケットを設計した人は、独創的なエンジニアだったに違いない」

…これが正解でいいんじゃないでしょうか。wonderfulと褒めている点と平仄が合います。

あのぅ、単語と関係ないんですが、ロケットって、1人のエンジニアが設計するものなんですか?

2. を選んでみましょう。

「あのすばらしい新型ロケットを設計した人は、天真爛漫なエンジニアだったに違いない」

…無邪気でウブでお気楽なエンジニアによる自由な発想の産物なんですね。いいじゃないか、この選択肢も。

3. を選んでみましょう。

「あのすばらしい新型ロケットを設計した人は、エンジニアとしては適性がなかったに違いない」

…ロケット開発などとは畑違いな珍妙なブツができたんですね...。んじゃすばらしいって言うなよ...。(反論してもしょうがないけど。)

4. を選んでみましょう。

「あのすばらしい新型ロケットを設計した人は、邪悪なエンジニアだったに違いない」

… 悪魔のような恐るべきロケットに仕上がったのですか...。日本近隣のどっかの国における指導者層の会話ですか。

 しかし、in-で始まる形容詞のみを選択肢に並べてくれるとは...。不正解の選択肢にマークした受検生を、採点を担当しているコンピュータの中に住む小人さんたちが「あ~ははっ、コイツこんな選択肢にマークしてるぅ!」と爆笑して楽しむ様子が目に見えるようです。なかなか邪悪な出題者だったに違いない...。

2023/09/10

■ こわすつくる - 出版社PR誌


「処分するから」という理由だったので、私がもらってきました、この「出版社PR誌」。

 なので、私は画像の冊子の関係者やその世界や業界の関係者ではないです。で、その読後感想につきここで少し詳しく述べてみたいと思う...な~んて言った時点で、これを読むあなたはさっさとチャンネルを変える?ことでしょう。と言いつつ、せっかくなので、このうち4誌を選んで、内容には触れず、お気楽な感想を。その後この本たちを、そのまま捨てる以外何か別な目的にも使えるかなぁ(どういうことだ...)。

 本好き読書好きな人ならおなじみ「岩波月報」である「図書」。背を見ると第896号。月刊誌だったはず...。なら、次の12月号で第900号。ということは、いつ発刊したのか、今さら俄然気になり、調べると、昭和11年頃のようです。何年かぶりに拝読すると、やはり、何十年も経ても変わらず、内容も量も充実し、どの記事も読んでおもしろいです。送料込み定期購読料1年1,000円は、内容的からしてかなり安いです。紙のレベルはワラ半紙に近い最低レベルのものですが(どうでもいいか)。

 知的雰囲気に満ちた「白水社の本棚」(季刊)は、やはり今も昔も私の知的レベルをとっくに超越していますが、そういう人を想定して筆者たちはなるべくその筆者の分野に初めて触れる人に配慮しているようです。郵送込みで無料頒布です。なかなか良い紙質です。紙質を落としてもいいので、記事を増やしてください(...無責任な...)。

 「本郷」(隔月刊)はさらに記事の本数が少ないですが、全て歴史系記事で1本あたりの内容は読みごたえじゅうぶんです。加えて、見開きのイラストで『江戸東京今昔めぐり』という情緒あふれるステキな面もあり、さすが歴史書の吉川弘文館。チョットでも歴史本好きな人なら1年1,000円の定額で有料定期購読するのも大きな楽しみというレベルです。紙質は岩波ほど低質ではないがという品質です。

 有斐閣の「書斎の窓」(隔月刊)は、ここで今、他の文芸誌出版社と同列に置いて比べては申しわけないけれど、偉い先生方の対談が毎号のように数本もあり、論文も数本ありで、圧倒的に会社の余裕を見せつけられます。内容的には、法曹実務家よりむしろアカデミズムや院生向けですが、専門用語はほぼなくて、一般の人も読めるよう配慮されているかもしれません。紙質は白水社に次いで上質です。

 専門家でも何でもない末端の国民である私が、読み物として楽しかったのは、やはり「図書」です。でも、そもそも、令和の時代、日本人は、本など読まなくなりました。文芸誌出版社の苦しさは、いったいいかばかりでしょうか。にもかかわらず、読む人を大いに刺激する内容を工夫している方々の存在とその努力に、頭が下がります。

 くだらない気づきですが、この号の「図書」では、表紙が聖ヨハネパウロ2世、内容に、銭湯ありソ連あり喫煙あり農村近代化ありモモありで、昭和の雰囲気に満ちています。その時代に感受性を刺激された現代の知識人が執筆しているからでしょうか?