2023/09/02

■ まなぶ - 大学入試共通テスト - 2021数学IA二次関数


学園祭のたこ焼きを1皿(1パック)いくらで売れば、利益が最大になるだろうか、と言うんですが。

受験や入試指導を受ける家族がいるわけではないですし、業界関係者でもないですが、末端の国民として、読んで楽しみたいと思います。

※ 出題者・作成者に敬意を表します。


たこ焼きなんか、多く売れば売るほど、1パックあたり高ければ高いほど、儲かるだろう、と考えるのは、私のような考え足らずの素人のようです。

■ 経費として、タコ焼き用器具の賃貸料(固定費)と材料費(変動費)があります。学園祭でない商売だとしたら、これに加えて、建物賃貸料・光熱費・支払給与・減価償却費及び累進課税となる所得税を勘案して税引後の利益を算定する必要があります。もしかして商売ってたいへんなのでは...。

■ が、入試会場で商売のたいへんさに感銘を受けている場合ではありません。(1)のたった3つのデータから、売上額の規則性を見て一次関数のようなので、式を作ります。1パックの値段が高くなると、買おうとする客が少なくなるんですね。で、その後、その(1)売上から推理して、同様に経費の一次関数式をつくります(2)。すると、「利益っていうのは、売上から経費を引けばいいんだよ」と花子さんが教えてくれるので、(1) - (2)の引き算をしたら、困ったことに、二次関数式になってしまいました。

■ 二次関数式になったので、グラフを描いてみなくちゃ。二次の係数が負なので、上に凸の放物線を描いたら、頂点が1象限に来た。これが利益最大値サシスセ円なのか...。頂点のxの値が正の整数になっているので、それを1パックの値段クケコ円としましょう。

■ 花子さんが、利益を7,500円以上になるようにしつつできるだけ安い価格で売りたいなどと、慈善活動家のようなことを言い出しました。およそ商人の風上にも置けません...と憤っている場合ではなく、時間が迫ります。二次関数式が7,500円以上であればいいのでは? 即席で二次不等式にしましょう。この一般形に解の公式など使おうものならアリ地獄に誘い込まれますので、平方完成し、定数は右辺に投げ捨てて完全平方式の形を作ります。アセっている試験中の受験生心理につけこむいつもの手口です。

しかし、たこ焼き屋さんって、今どきは、二次関数をクリアできる人でなくては開業できない職業なのか...。日本国政府の想定するたこ焼き屋さんは、レベルが高すぎないだろうか...(昨日パン焼きに失敗したからと言って日本国政府にやつあたりしているわけでは決してありません...)。

2023/09/01

■ こわすつくる - パン - 過発酵


失敗...(ioi)...過発酵でした。ホームベーカリーのフランス食パン。

 発酵時間帯を涼しい明け方に設定したんだけどな...。8月は5勝2敗(2回とも過発酵)。

 でも、厚いクラストだけをトーストして食べるのもおいしいです...(負け惜しみです)。

2023/08/31

■ きく - モーツァルト ピアノソナタ イ短調 K310 - 1楽章 / 内田 & ピリス

 Portrait left unfinished - Josef Lange

取り上げるには大きすぎるのですが、やはり全体のうちのごく一部のみをひと言。短くまとめようと思うのですが、短いほど時間は莫大にかかりそうです...。

「悲痛」「怒り」「疾風怒濤」などと言われます。母を失ったので、怒り狂うように泣き叫ぶのですか、そう、したり顔に語る論者は? 

 「親を/妻を/家族を失ったから」この頃の作品にそれが表れているのだ、といった、事情通の裏話や歴史的逸話はいったん置いて、それとは切り離して曲を聴きましょう。私にはそうは聴こえてこないです、内田(1985 Philips 412-741-2)とピリス(1989 De Grammophon 00289 477 5903;DG盤)を聞いた限りでは。というのも、たしかに嵐のような十六分音符の連続と展開部の振幅の激しいデュナーミクですが、叩きつけるような他の演奏と異なり、2人とも、1楽章全編を貫く長いレガートや長いスラ―記号を最大限活かして、流れるように美しく弾くからです。

ピリスのモーツァルトは、70年代に日本のイイノホールでの録音が、デンオン(Denon)レーベルから全集で出ていたのですが、私はそれをカセットテープでエアチェックして聴いた程度。曲はK310ではなく、K331(トルコ行進曲付き)の1曲でした。「モーツァルトは簡単で親しみやすい。でも子どもの発表会みたいにガチャガチャな音ではないんだね」が「モーツァルトのピアノ曲」という第一印象。でもそれっきりでした。その後も入手性は良いのですが、結局は90年代に入って再録音全集(DG盤)を買いました。今これを書きながら、まだ手に入るDenonの全集盤が聴きたくてたまらなくなりました。

■ DG盤を聴くと、K310は、やはり、悲痛でも怒りでもありません。ピリスの1楽章は、瘧(おこり) が 落ちたような明るい理念を貫いてタッチに強弱をつけて弾き進みます。展開部に「雷鳴」や「迫力」などのピアノ協奏曲のようなデュナーミクを期待すると無駄にリキむので、力をぬいて...。

■  それに先立つ1980年代に、内田の演奏(CD)に出会って、「簡単そう・聴きやすい」というモーツァルト観が変わりました。安易で軽薄な奴だったんです、私は(告解してもしょうがないのですが)。なるほど、ト短調の弦楽五重奏曲K.516も、そういいたかったのですか、小林は「モオツアルト」で (ただ、"tristesse allante"が「疾走する悲しさ」とは、誤訳に近い意訳・恣意的な意訳だという指摘で、小林の唐突な口調の感傷的な評論文はここ30年来見直されているのも、大いに納得しています)。

■  内田のK310を、100回、200回と聴くと、その、1音1音、1本の指の1回の打鍵のタッチが、これは、もしかして、あ、ありえないほどの「微妙さ」...を感じます。打鍵時の緊張感を少し想像しただけで、ますます髪の毛も逆立つような...。あなたが非常に大切に使いこなしてきた道具が何かあるとしましょう。他人には貸したくない、触らせたくもないような。それをしぶしぶ他人に貸したら、ぞっとするような乱暴な使い方に目を覆いたくなる経験があるでしょう。内田の打鍵の微妙さは、その尊さに似ています。例えばユーチューブなどでK310の演奏を公開している素人さん等で聴くと、耐えられなくなって途中で...。ふりかえって内田の演奏法を誰かほかのひとがマネしたとしても、誰一人として神経がもたないだろうと思えるほどの繊細さを感じます。

■  十六分音符を多用していますが、スタッカートもあればレガートもあり、全体に数小節に渡り1本のスラ―がかかっている箇所も数多くあります。響きはたしかにホモフォニックなオーケストラの伴奏のようでもあり、ポリフォニックな左右両手対等のフーガのようでもあります。それらの役割を持つ十六分音符の速い進行をどの一音もいつくしんでタッチを変えて弾き分けて進む気がします。

楽譜1
■  また別な観点として、その演奏のテンポの取り方です。冒頭の右手、装飾音と二点ホの四分音符ですが、内田は、冒頭は音符に忠実です。が、50小節ほどから成る提示部終了時のダカーポ後は、冒頭に戻ると、その装飾音がほんの少し長くて、四分音符がほんの少し遅れて入ります(楽譜1の枠)。展開部の入りを始め、いくつかの箇所に、このような、次の音を聴き手が期待する圧力の溜めのようなゆとりのような、そのような意図したテンポの揺れがあります。これが、タッチの繊細さに加えて、このイ短調1楽章の曲想全体を支配する不安な雰囲気とドラマトゥルギーを醸し出している、と言えるかもしれません。その背後に、内田の役者の大きさ・技量のゆとりが、他の奏者とは歴然としている印象を強く受けます。

■ 私がこの内田のイ短調で初めて実感した「モーツァルトの"tristesse allante"」は、展開部の楽譜2でした。フォルテッシモとピアニッシモを交互に打ち込む、息も絶え絶えな右手の16分連符と、同時に進む2拍ごとの最低音の鼓動(枠)が、心臓に杭を打ち込まれるようです。右手高音声部の緊張が楽譜3(枠)でリズムが極大に達して息詰まるようですが、同時に和音の連打だった低音部が今や激流となって、しかし解決に向かう、かのようです。

楽譜2

 たしかにこのような場面では、モーツァルトのdämonischな面が露出していると言えると思います。同時に、それは悲痛や怒りではなくて、ランゲの「モーツァルト肖像画」の、あのまなざしではないかな...