2023/08/06

■ まなぶ - ヨーロッパ教会建築のごく基本知識

Wikipedia "Kölner Dom Innennraum" (De)

 今日にいたるまで、行ったこともなく見たこともなく、本の写真でしか知らないヨーロッパのカトリック教会の建築。ちらりと内部の構造のごく基本的なつくりを見ましょう。教会建築も様々ですが、一般にイマに残る巨大なロマネスク/ゴシック様式の石造建築でバジリカ型3廊式を念頭に。

冒頭の画像は、有名なケルン大聖堂の内部です。現在の形になるまでの建築期間が600年あまり。ヨーロッパの教会は工期が100年以上かかる大型建築も多いところ、とりわけこれは最長、最大の建築物でしょうか。

Wikipedia "nave"(En)

教会建築のごく基本的な平面図がすぐ上の図ですが、図各左の▶が会衆の入口で、西から入り、東方(祭壇)に向かうという、象徴的な基本レイアウトです。しかも、全体に十字架の形でかつ船の形を模しています。「聖ペトロの船(新約聖書)」または遡って「ノアの方舟(旧約聖書)」のメタファーです。教会から発し、ヨーロッパの大型建築物全般の基本的理念となっているようです。

■ 冒頭ケルン大聖堂の画像で、手前の会衆席のある空間を身廊;狭義のネイブnave(すべて英語表記でいきます)といい、左右の柱列をコロネードcolonnade、この柱列全体(アーケード;arcade)で仕切られたさらに左右翼の空間を側廊 side aisle (上の画像には側廊の空間は写っていないです(ケルン大聖堂は側廊の外に側廊がある5廊式))。以上すべての空間を含めて広義のネイブといいます。(平面図)

大聖堂画像中央奥が聖職者の司式空間である内陣(chancel)とさらに建物最奥が祭壇を置く後陣(apse)です。平面図では、右側(=東側)のドーム形状の部分にあたります。

天井を見ます。左右側面のarcade上部が明り取り用のステンドグラス窓の入ったクリアストリー(clerestory)部を経て、その脇から伸びる束ね柱(ピア;Pier)が天井で収束します。この身廊(nave)の天井をヴォールト(Vault)といいます。単語がたくさんありますね。すみません。これでもだいぶ省略しています。

ロマネスク期(12世紀頃まで)に狭義のnaveの高さを競うようになり、教会建築が巨大化していきました。これが全部、石を削り出してつくられたものだとは…。構造計算がたいへんだっただろうなぁ…などと、小さい人間のどうでもいい感想です。いずれにしても、私のような者は、写真を見ただけで畏怖し圧倒されます。

2023/08/05

■ あるく - 県道2号屏風山内真部線


連日良いお天気。「湿度60%、体感105℉で湿度により暑くなるでしょう」とスマホのThe Weather Channelが意味不明な日本語をのたまっています。このスマホの中に棲んでいる小人さんはアメリカ人に違いありません。

連日、内真部森林公園から山の舗装道路を歩いています。

道は麓側に行くにつれて谷筋を選んでつくるのが一般的で、この道もそう。同時に風の通り道にもなっています。ここの今の気温は105℉で日本の最高気温記録を更新しているのかどうか私には体感できないのですが、少なくともここは、すばらしく爽やかな谷風が吹いていて、森の木の葉がさざめいています。

学校の夏休みに入って、まとわりつく蚊も増えてきましたが、トンボも増えてきており、特にここ数日は、ごろりと太く悠々と空中に静止する大きなオニヤンマがめっきり増えました。心なしか往復の農道の景色をなす田んぼの色も、先月までのスッキリなラッシュグリーンでなくほんのり黄色がかってきました。

 今日も、出会ったクルマは1台だけ。レンタカーナンバーのミニバンでご家族連れのようでした。通行止簡易ゲートを見て引き返していきました。途中「通行止」の予告看板表示は何度も見ているでしょうに、「行ってみよう」という家族会議の結果なのですね。ヒバ山を往復で堪能できて、よかったです。

画像は森林公園前の県道2号線の通行止め簡易ゲート。左側の「完全通行止」の英訳のパウチ(ラミネート)フィルム表示は、昨日までは無かったです。なぜ今日から英語表示を追加したのでしょうか? きっとアメリカ人の団体が大挙して訪れたに違いありません。


2023/08/04

■ きく - ベートーヴェン交響曲3番1楽章の「トランペット離脱問題」


ベートーヴェン交響曲3番1楽章のコーダの最後の部分の話です。「英雄」交響曲は、まるで戦いを突き進むように終末に向けてグイグイ盛り上がっていくところです。主題は、楽章を通じて用いられる4小節の動機(Motiv)を、音程2度上行させた繰り返しで、計8小節から成ります。

 1楽章は、非常に速い水の流れのような快速なアレグロ(con brio)で、どの楽器群にもスフォルツァンド(sf)やクレシェンドなどを細かく指定して歯切れよくデュナーミクの揺れも大きく、木管楽器群は活発に呼応し合い、弦楽器群はリズムを刻んだり、うねりや転がりのように軽やかだったり、力強かったりする進行です。

 低音楽器群(Fag; ファゴット、Vle; ヴィオラ、Vc;チェロ、B;コントラバス)が三拍子の力強い足取りを歩んできたところ、655小節目で、高音楽器群のような3連符風の上行とスタッカートstaccatoの下降に入って、楽章最後がいっきに爆発的な盛り上がりに突入し、ここでトランペット(Clno)が8小節に渡る第1主題のテーマをファンファーレ風に高らかに吹く...はずなのですが、ベートーヴェンは、主題の前半4小節のみそうして(楽譜上の黄色枠)、後半4小節は、トランペットを華々しい主役からいきなり下ろし、伴奏にまわしています(楽譜下の黄色枠)。盛り上がった頂点に達する一瞬前に、いきなり水を差すような処置で、異様に不自然です。これが、「3番1楽章の、コーダ問題/トランペット離脱問題」。

※↓652小節目から



ベートーヴェンがそう処理した理由は、当時のトランペットやホルンの構造にあったようだというのが、現在の通説のようです。ホルンやトランペットが、現代のようなバルブ式やロータリー式ではなく、バルブなしのナチュラルトランペット、ナチュラルホルンで、唇の形や呼気の排出量で音程も決めていた点で、音を外しやすく、演奏が難しいようで、奏者の技巧に極度に左右されます。さらに、前半4小節から2度上行した後半4小節は、自然倍音ではなく、特に彼個人の周囲の奏者らの技術レベルを考慮に入れると、技術的に不安定または困難と彼が考えたからではないかとされます。

その後、19世紀末最大の指揮者ビューロー(Hans von Bülow)が、この箇所でトランペットの旋律を8小節全て演奏させる独自の解釈というか校訂というか演奏スタイルを採用し、これが現代の大オーケストラの演奏でも採用されてきました。一気に爆発的に盛り上がる場面にトランペットは当然主役だろうという、自然な発想です。

今回この機会に、手持ちの5種類の演奏を1楽章のみ聴き比べてみました。

20世紀LP時代の伝統的オーケストラは、ビューローのスタイルで何の疑問もない、という感じでしょうか。

手持ちの盤で確認したら、Böhm/Wiener Phil(Grammophone1971), Karajan/Berliner Phil (Grammophone1984)など。ギリシャ彫刻のような静謐さを全編に湛えたベーム盤。帝王カラヤンは何の躊躇もなくマッシブに突き進む感じです。

古楽器演奏者になると、やはり原典忠実です。

手持ちの盤で確認したところでは、Hogwood/Academy of Ancient Music (L’oiseau-lyre1981), Norrington/The London Classical Players(VirginClassics1989), Savall/Le Concert des Nations(ALiaVox2019)など。

曲の構造に、古楽器演奏はいずれも、演奏家独特の透明感があって、にぎやかなはずのこの1楽章終盤も、重なる楽器同士の響き合う美しさに大いに惹かれます。

■ 現代オーケストラの派手な盛り上がり感や我先を争って他者を消し合うような大音量は、独りで聴くにはちょっと気が重くなります。この感想には、録音技術も大きく影響を及ぼしていると思いました。古楽器演奏の盤は、響きの美しさは突出していますが、後出しジャンケン的な強さがあります(笑...加えて、録音技術者の個性もかなりあり、私が思うに、LPやCDでは、録音技術者は指揮者なみに着目する箇所です。80年代クラシックLP黄金期を形成した Karajan - Berliner Philharmoniker - Grammophon - Günter Hermanns の組み合わせは、今聴き直すと、混然一体となったカタマリ感が押し寄せます。実はその頃からニガテ感がありました...。カラヤンファンの方ごめんなさい。

私は演奏会に行ける身分ではないのですが、もし演奏会に行くとしたら、または、新たな演奏家の盤を手に取る機会があるとしたら、曲全体や曲の一部や楽章ごとに、何か聴きどころのテーマを決めて聴くのが、ワクワクした楽しみだと思います。で、ベートーヴェン3番の1楽章なら、何と言ってもココでしょうか。