2023/06/10

■ こわすつくる - 実家整理 - 金属類を処分2


■ ごみとなる家財の分解を重ねてきました。分解した際に、木材(燃えるゴミ)・プラスチック類・ガラス類などにゴミ分別していきますが、家電類のような金属や基盤の組み込まれたアイテムは、当初、困りました。当市では、「家電・金属類」として収集しますが、月に1回のみで、自治体指定収集袋には、家電類を1コか2コ入れただけでいっぱいになったり、そもそも入らない家電もたくさんあります。そのような場合は、年1回の粗大ゴミに出せとのことですが、これも数量が1世帯4アイテムに限定されています。これでは不法投棄が後を絶たないのも…(またボヤきそうなのでヤメておきます)。

■ そこで、この際、家電類も、徹底的に分解することにしました。今どきの家電は、まずはプラスチックのシェル(筐体)、場合によっては金属フレーム、ねじ類、目的に応じた可動手肢、電気コード類・基盤…てなパーツで構成されているでしょう。

■ うち、金属を、鉄かアルミかSUS(ステンレス)か真鍮(黄銅)か銅か、見分けがつく限り小箱に分別していきます。

■ 電線類は、VR線(純銅単芯のVVFやVVRやIVなどのケーブル類)か、撚線(家電用のコード類)かで、箱を分けて分類します。

■ 基盤は、ガラス繊維系樹脂の基盤プレートに電子部品を実装したものですが、これはもう十分小さなサイズですので、市の「家電・金属」のゴミに出します。

■ 分別した金属と電線類は、自治体の収集ゴミではなく、廃棄物処理業者M商店へ。実家整理開始以来ずっと分解整理した分を、本日持参しました。業者の目からすれば、私のような一般家庭の零細な客が、ごく少量を非常に細かく分類して持ち込んだので、無駄に計算の手間をとらせてしまい、迷惑をかけてしまったのですが、ていねいに引取り手続きと計算をしてくれました。M商店には、段ボールや雑紙(ザツガミ)から屋内用灯油タンクの類まで、何度も引き取ってもらってお世話になってしまい、ほんとうに感謝しています。

2023/06/01

■ こわすつくる - 実家整理 - 閉眼供養5



■ 閉眼供養の翌日、さっそく、最初に助言を求めた親類の弘前のお寺に報告とお礼にうかがいました。

■ この寺の宗派は、鎌倉期に成立して以来、農民層に流布した経緯から、当寺院には、江戸時代の飢饉の鎮魂碑(巨大な一枚岩)があります。

■ 昨日のありのままを報告しました。住職の話では、その後に聞いたところでは、仏壇を自分で処分場にて廃棄する人もちらほら聞くようになった。それも止めはしない。ただ、何十年も信仰や気持ちの安らぎの対象となった仏壇に、感謝の気持ちを込めてその最後を仏具店にお任せする気持ちも尊いと思う、とのことでした。私も昨日、まさにその同じ考えに帰着しました。

■ このとき、おもしろかったお話は;

私はこのお寺に50年近く前に数年間下宿させてもらって学校に通ったのですが(画像の赤い門を日夜毎日くぐったのか...)、先日仏壇の処分をお願いしたpさんの先代社長もまた、このお寺に下宿して弘前高校に通ったんだよ、という事実を聞いたことです。そんなつながりがあったとは。昨日の仏壇処分の際には、私も今の若い社長pさんも知らなかったんですねぇ。

■飢饉の碑といい、多くの学生を下宿させてくれた歴史といい、実に、人助けに縁があるお寺ではないでしょうか。

2023/05/31

■ こわすつくる - 実家整理 - 閉眼供養4


■ 仏壇の処分。昨日午前の閉眼供養の直後の13:00。仏壇の処分を、かねてより依頼していた市内のp仏壇店にお越しいただいて、実施していただきました。

■ p仏壇店の社長pさんと年配の従業員の方qさんお二人が見え、縦6尺横3尺の仏壇を、上下別にロールキャップでていねいに包み、積載し、あらかじめ提示されていた金額z円を、その場で清算して終了でした。この間約15分。

■ 画像は、クリーンアウトした仏間です。画像中央に仏壇が鎮座しておりました。

■ 社長のpさんはお若い方で、従業員qさんは年配の方でした。pさんはqさんに、「qさん、これはどうしましょうか?」とていねいな言葉遣いでした。

■ 持って行ってもらった昭和の仏壇は、おそらくそのまますぐに焼却場にて処分ということでしょう。自分で軽トラで処分場に搬入すれば、同じ結果を得ることにつき、費用は100分の1から200分の1で済んだと思います。

■そう考えると、「ロールキャップでていねいに包む」のは、依頼したおうちへの配慮や視覚的効果が主たる目的だと思います。

■ 閉眼供養後、すなわち「仏壇の魂抜き」後は、当該仏壇は、使用済みの家具同様、単なる木造工作物と考えてよいとすれば、燃えるゴミとして自分で処分場に持ち込んで廃棄焼却処分すればよいだけです。仏壇店にz円を払う義務はないでしょう。ここをどう考えるかは、その人の気持ちや価値観によると思います。いずれか一方の考え方の人が、他方を論駁・非難することは無益だと思います。