2025/10/31

■ あるく ■ Jazz喫茶 Groovin'81

写真歴50年の友人M君の撮影

めずらしく久しぶりに...正確には45年ぶりに...Jazz喫茶というところに。"連れて行ってもらった"と表現するのが正確なんですがネ。

 中学生の頃は、クラシック音楽が生活のすべてみたいな傾向がありました。でも高校時代にJazzに、うち、ビッグバンドとピアノトリオに惹かれます。ここ数十年は後者のみ、CDのみでした。自分のCDライブラリは100枚もない程度ですので、やはりこの分野でも自分は永遠の初心者です。


 ドアを開けて轟音の中に入ります。すぐ目に入ったのが、初めて実物を見るJBLのP.Evelest DD6x000シリーズ(どの年代かはわかりません)、これを駆動するパワーアンプがMcIntosh1000系モノーラルセパレートでした。

 帰宅して見たお店のウェブサイトには、CDプレーヤとDAコンバータがAccuphaseのDP-100DC-101LINNのLP12やYAMAHAのディスクプレーヤーもさり気なく写っています。いずれの機器も四半世紀以上〜30年選手ですが現役バリバリで稼働しているようです...。

Groovin'81 Websiteより

 ピアノトリオバックのアルトサックスを、はじめCD、のちLPで聴く機会となったのですが、LPの音がむしろ艷やか。LPの音質こそJazzのプライマリな得意分野なんですねぇ。

 空間サイズや石壁風の内装により低音は飽和していましたが、高音域は、高能率のJBL製コンプレッションドライバの、あの晴れ渡った青空のような清々しさを、直接浴びるほど堪能しました。これは他社製の家庭用機器では逆立ちしても表現できない次元です。

 Jazz喫茶のこだわりって、独自の世界観があって、たまには浸りたいです。クラシック音楽の'演奏会'という場に我が身を置く気にはまったくならないのですが、こういう空間は本当にくつろいで没入できます。

 その'たまに'っていうが、'24時間おきに'という常連さんたちが、やはり居られました...いいなぁ。お邪魔してすみませんでした。

  ここに連れて来てくれたM君、いつもほんとうにありがとう!

  多少困ったのは、昨日帰宅してから、興奮してまったく眠れなかったということか...。今日は早く寝ます(^^w

2025/10/30

■ まなぶ ■ 「クマが飼っている柴犬」(朝日新聞)

 

■ 「クマが飼っている柴犬」!? 

■ 最近のクマさんって、犬を飼っているんですね。

 逃げたヤツは誰なんですか? クマさんが飼っている柴犬を、"おさかなくわえたドラ猫"みたいな悪いドラ猫がくわえて逃げたんですか? 被害にあったクマさんたちが相次いで110番通報したんでしょうか。

 キティちゃんが猫を飼っている世の中だしなぁ。シュールレアリティックな世の中になったものだなぁ...(詠嘆終止法)

 ...国語力にあんまり自信がないヤツより...

2025/10/29

■ まなぶ ■ 寒月君でない寺田寅彦 - 中谷宇吉郎『長岡と寺田』


漱石『猫』で、愛弟子の寺田寅彦がモデルとなっている'寒月君'。静穏な学者生活をしたい苦沙弥先生のところに、全編に渡ってあまたの波乱を持ち込みます。最初はこんな調子で登場するんでした;


 夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』青空文庫

この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話をしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。

「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大いに活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大いに吾輩を賞める。「近頃大分だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でも善く弾けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨しそうに問いかける。...「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」...


 寺田寅彦の随筆のいくつかの飄々たる文体や、油彩画や俳句を善くしたことと重ねて、寒月君そのものと信じてしまいます。


 寺田の門弟の中谷宇吉郎(物理学)のエッセイ集に、『長岡と寺田』という一文があります。

 '長岡'とは、原子モデルで著名な物理学者の長岡半太郎です。中学校検定教科書では、理科(物質と化学変化)ではドルトン、メンデレーエフ、アボガドロ、ラボアジエ、田中耕一は登場するものの、長岡の名はなし。他方で、歴史(明治の文化)で名前を暗記させられるようです。

 寺田は長岡に師事しました。

 中谷の文を抄読してみましょう。人名やふりがなの"(  )"は私が振りました;

 中谷宇吉郎『長岡と寺田』青空文庫

"寺田(寅彦)先生は、あのとおり、どんなつまらない人間でも、その長所は十分に認めるという性質であった。いわんや長岡(半太郎)先生のような卓越した大先生の学問には、十分の敬意を払われた。そして長岡先生のあの性格の強さを、武士道の名残りとして大いに尊重しておられた。"


"長岡先生は、原子物理学の方で有名であったが、地球物理学にも興味をもたれ、地震研究所にも席があった。そして地球物理の論文をたくさん書かれた。私(中谷宇吉郎)がまだ理研にいた頃の話であるが、ある日何かの用事で寺田先生の部屋へ行った時、先生が長岡先生の論文原稿を見ておられたことがあった。「どうも長岡先生の論文を拝見するのは少し閉口なんだが」といって、例のように独特の苦笑をされた。少なくもあの頃は、長岡先生も、地球物理関係の論文は、一応原稿を寺田先生に見て貰われたようであった。

「長岡先生も、地球物理の方は、あまり自信がおありにならないようだ。この頃はよく「君、ちょっと見ておいてくれ給え」といって、原稿を頂戴するんだが。どうも先生には、地球物理なんかという御気持があるらしく、大分調子を落されるんでね。少し閉口なんだ。この間も緯度変化と地震という大論文の中で、山から次ぎの山まで、即ち波長の二分の一と書いてあったんでね。おそるおそる「先生これは波長じゃ御座いませんか」と伺ったら、「そうだね」とあっさりλ(ラムダ)と直されたんだ。あれには少々驚いたよ。僕だったら、あんなことを書いたら、とても気になって二晩くらい眠れないんだが。「そうだね」には、実際びっくりしたよ。えらいものだね」といって、ちょっと首をすくめて見せられたこともあった。

 どうも、長岡先生にとっては、地球物理学は、いわばホビィであったように思われる。寺田先生も、その点は十分よく了解しておられたようである。しかしそのホビィが、だんだん嵩じてきて、地震研究所の談話会で喋り放しにされる論文の中には、少しのんきすぎるものが、まじってくるようになった。中には、ほとんど出鱈目(デタラメ)に近いような論文もあったそうである。..."


"それがとうとう爆発したのは、ある日の地震研究所の談話会の席上である。私は直接その席にいたわけではないが、会のあとで坪井、宮部の諸兄が...「たいへんなことになっちゃった」とくわしく様子を知らせてくれた。..."


"長岡先生が、例によって大気焔をあげられ、御機嫌よく講演がすんだあと、議長が型の如く「御質問御討論がありましたらどうぞ」という。皆は、いわばさわらぬ神にたたりなしという顔付で、少々煙に捲かれながら、黙り込んでいる。

「そうしたらね。寺田先生がすっくりと立ち上って、こういう風に机に両手をついて、少しぶるぶる震えながら、

「先生の今日の御講演は、全く出鱈目(デタラメ)であります」

といわれるんだ。いや驚いたね。みんながシーンとしてしまったんだ。先生は真蒼な顔をしておられるしね」

「まさか。話だろう」

「いや、本当なんだよ。長岡先生、全くびっくりされたようだった。

「いや、君、そりあいろいろ仮定ははいっているが」

「いいえ、それは仮定の問題ではありません」

「しかし地球物理学には、どうしても仮定が」

「いいえ、地球物理学というものは、そういうものでは御座いません」

「まあ、そうやかましくいわなくても」

「いいえ、これはそういう問題では御座いません。今日の御話は、徹頭徹尾出鱈目であります」

「まあ、君、そうひどいことを」

「いいえ、今日の御話と限らず、この頃先生が、この談話会で御話をなさいますものは、全部出鱈目であります」

といわれるんだ。どうも驚いたね。皆すっかり固くなっちゃってね。口の出しようがないんだ。田中館(愛橘)先生が、「まあ、まあ、君」というわけで、やっとほっとしたよ。いや凄かったなあ」。

 それから当分の間は、実験室の中は、この話でもち切りであった。当時の長岡先生の権威というものは、今日の人たちには、想像も出来ないくらいであった。「先生、決死の勇をふるったんだね」などと、悪童どもは、気楽なことをいって喜んでいたものである。

 寺田先生が小宮(豊隆)さんに、ああいう先生は「一度鼻を攫んでぐいとねじり上げて置かないと癖になる」といわれたのは、この時の話である。

...引用は以上


 寺田も、巨大な権威の長岡も、十代の頃に学校で知った人物像とはずいぶん違いますね。大学生になって初めてこの中谷の随筆を読んだときには、なんだか自分が中高生時代に信じ切っていた科学という権威の世界がひっくり返った気分になりました。

 寺田の、"世の中が面白そうな、つまらなそうな"寒月君では全くない、強い意志と正しい学究心を貫く姿にこころをうたれます。

2025/10/28

■ 霰(あられ)


昨夕から、冬の入りの嵐がスゴいです。暴風と雷雨。

 今昼過ぎは、風速9m/sの強風です。

  今朝6時とこの昼12:00頃は叩きつけられるような強い霰に打ち付けられました。

 朝から激しい雷は勘弁(🔗8/10)。雷を怖がるヒトなので、今日のPCは短時間で早々にシャットダウンします。

2025/10/27

■ まなぶ ■ 寒月君である寺田寅彦

『寺田寅彦随想集-第三巻』小宮豊彦編 
岩波文庫-緑37-3(1963年改版1985年44版)
(手元に所蔵(大学時代に購入))

引用長いです。ごめんなさい。寺田と夏目の"(  )"は私が振りました。いちいち多いですがご容赦を。

 寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』(青空文庫)より

"自分(寺田寅彦)が学校で古いフィロソフィカル・マガジンを見ていたらレヴェレンド・ハウトンという人の「首つりの力学」を論じた珍しい論文が見つかったので先生(夏目漱石)に報告したら、それはおもしろいから見せろというので学校から借りて来て用立てた。それが「」の寒月君の講演になって現われている。"


 夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』(青空文庫)より

"「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥(くしゃみ)にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君の家うちへ呼ぶ事にしておいたのさ――なあに君はひま人だからちょうどいいやね――差支(さしつか)えなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭は独りで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断を憤ったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊り(くびくくり)の力学と云う脱俗超凡な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊(くく)り損なった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒がするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧(かえりみ)ながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫なでる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。

 それから約七分くらいすると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌(えんぜつ)をするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟カラーを聳(そび)やかして、男振りを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落ちつき払って、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむを得ず「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と云う。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむろ)に「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌の御浚(おさら)いを始める。

「罪人を絞罪(こうざい)の刑に処すると云う事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代に溯って考えますと首縊(くびくく)りは重に自殺の方法として行われた者であります。猶太人中(ユダヤじんちゅう)に在っては罪人を石を抛げつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人はエジプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝されることを痛く忌み嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたそうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論に這入るところですから、少々御辛防を願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑には磔(はりつけ)を用いたようでございます。但し生きているうちに張付(はりつけ)に致したものか、死んでから釘を打ったものかその辺へんはちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうに欠伸(あくび)をする。「まだいろいろ御話し致したい事もございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君」とまた迷亭が咎め立てをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞(ことば)を使って貰いたいね」と迷亭先生また交(ま)ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聴いているのか、交ぜ返しているのか判然しない。寒月君そんな弥次馬に構わず、さっさとやるが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然(ひょうぜん)たる事を云う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。即(すなわ)ち彼(か)のテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するという条(くだり)でございます。希臘語(ギリシャご)で本文を朗読しても宜しゅうございますが、ちと衒(てら)うような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々(うんぬん)はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫(ごう)も希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。

 この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、彼(か)のテレマカスがユーミアス及びフリーシャスの援(たすけ)を藉(か)りて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うと縄暖簾なわのれんの先へ提灯玉を釣したような景色と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺へんのところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。

「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋つないでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論もちろん女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」

 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」

「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐(お)って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。..."


 中谷宇吉郎『寒月の「首縊りの力学」その他』(青空文庫)より

"漱石先生が『猫』を書き出された頃、当時大学院におられた寺田先生が、ある時図書室で旧いフィロソフィカルマガジンという英国の物理雑誌を何気なく覗いておられる中に、ホウトン(Rev. Samuel Haughton)という人の「力学的並に生理学的に見たる首縊りに就いて」という表題の論文に出会われたのだそうである。大変驚かれてちょっと読んでみられたところ、正真正銘な首縊りの真面目な研究だったもので、早速その話を漱石先生にされたのであった。漱石先生も大変興味を持たれて、ぜひ読んで見たいから君の名前で借りてきてくれと御依頼になったのだそうである。その論文の内容が間もなく、寒月君の「首縊りの力学」となって現われたのである。

 以上の話は、私が大学を卒業した年位だったと思うが、寺田先生の指導の下で実験をしていた時、大学の狭い実験室の片隅で、実験台を卓として一同で三時の紅茶を呑みながら先生から伺った話である。その時寺田先生は、「僕はもう大分旧い話なので、論文の内容なんかすっかり忘れてしまったが、誰か一つ古いフィルマグを探して見給え、きっとあるから」との御話だった。早速図書室へ行って、埃っぽい古い雑誌を片っ端から探してみたら、果して見付かったのであった。それは一八六六年の第三十二巻第二十三頁にあって、題目は“On hanging, considered from a mechanical and physiological point of view.”というのである。著者ホウトンはF・R・S・(Fellow of Royal Society)と肩書きがあるところからみても、真面目な一流の学者であったらしい。その論文と『猫』とを併せて読んでみると、漱石先生がいかにこのような素材を美事に取扱われたかということが分って大変面白かった。

 寒月君の演説の冒頭「罪人を絞罪の刑に処するということは重おもにアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、……」というのは、論文の緒言の最初の数行のほとんど完全な翻訳である。以下猶太(ユダヤ)人中にあっては罪人に石を抛げ附けて殺す話から、旧約全書中のハンギングの語の意味、エジプト人の話、波斯(ペルシア)人の話など、ほとんど原論文の句を追っての訳である。わずかばかりの動詞や助動詞の使い方の変化によって、物理の論文の緒言が、寒月君の演説となって『猫』の中にしっくり納まってしまうということは、文章の恐ろしさを如実に示しているような気がするのである。

 寒月君が続いて、「波斯人も矢張り処刑に磔を用いたようで御座います。但し生きているうちに張付けに致したものか、死んでから釘を打ったものか、其の辺はちと分りかねます」という条くだりは、原本では「死後か否かは不明である」という簡単な文句で記されている。そこで苦沙弥先生が、「そんなことは分らんでもいいさ」と退屈そうに欠伸あくびをする所は、原論文では、猶太人の磔は常に屍体について行ったもので、生きた人を十字架にかけて釘を打つという残酷なことはしなかったと、猶太人のために無実の悪評を弁護しているのである。以下本論に入って、ペネロピーの十二人の侍女を絞殺するところとなって、寒月君が希臘ギリシア語で本文を朗読しても宜しう御座いますがといって、そんな物欲しそうなことは言わん方が奥床しくて好いと、苦沙弥先生にやられる所には、論文ではちゃんとギリシア語の原文がはいっているのである。そして Od. 465-473と註が附いている。寒月君が「ちと衒てらうような気味にもなりますから已やめに致します。四百六十五行から四百七十三行を御覧になると分ります」というのは、この註なのである。

 それからこの時の絞殺の二つの方法について、一方が力学的に成り立たないという証明が本当にあるのである。「T1cosα1=T2cosα2……(1), T2cosα2=T3cosα3……(2)」と寒月君が始めると、苦沙弥先生が「方程式は其の位で沢山だろう」と乱暴なことを言うのであるが、この式は実際には十二個あって、それをちゃんと解いて、初めの方法が成立しないという所まで、約四頁にわたって証明がしてあるのである。「此の式を略して仕舞しまうと折角の力学的研究が丸で駄目になるのですが……」「何、そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ」と苦沙弥先生が平気でいう所は、実は十二の連立方程式を解く所であって、いかに漱石先生でもこればかりは致し方がなかったのだろうと、原論文の読後、私は寺田先生を御訪ねした時御話したことがあった。先生は上機嫌で、「そんな所が確かあったようだったね、夏目先生も其処迄御分りになったのだろう」と笑われたことがあった。

 この数学的の取扱いの次に、英国のことに言及して、ブラクストーンやプローアンの説が飛び出したり、有名なフイツゼラルドという悪漢を絞めた話が出たりするのも、やはり原論文にあるのである。「とうとう三辺目に見物人が手伝って往生さしたという話です」と寒月君がいうと、「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出るのは、漱石先生の実感であったのかも知れない。実際、この論文も段々少し面倒になってきて、数式ばかり沢山出るようになるので、もう後は全部この調子かと思って読んでいると、急にこんな話が飛び出してくるので、誰でもちょっと妙に愉快になるのである。「演説の続きは、まだ中々長くあって、寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが」というのもその通りであって、原論文は以上が前半であって、その後半には縄の弾性系数と体重と飛び下りる高さとから、首に縄を附けて飛び下りた時の首に与えられる衝撃を計算してある。そして縄の長さをどれ位にしたら、その時の衝撃がほとんど瞬間的に罪人を致死させ得るかという点を生理学的に取扱ってあるのである。このような題目が大真面目に取扱われ、そしてその論文が平気で物理の専門雑誌に載っていた時代もあったのである。もっともそれも英国の雑誌なればこそと思われるのである。"

 

 引用ばかりでごめんなさい。大学時代に、おもしろくて、立て続けに読んだ師弟の方々の話のごく一部です。

 現在、寺田と中谷のいくつかの随筆は、『岩波少年文庫』に所蔵されていて、その編集は、中谷の門弟(?)の池内了の手によるものです。

 それにしても、『少年』には難しくないかな...。少年じゃない私が読んでもいいのかな...。でもそこのところは、さすが岩波、すべての岩波少年文庫の最終ページにかならずある『岩波少年文庫創刊五十年 - 新版の発足に際して』で、" 幼い頃からの読書体験の蓄積が長じて豊かな精神世界の形成をうながすとはいえ、読書は意識して習得するべき生活技術の一つでもある。岩波少年文庫は、その第一歩を発見するために、子どもとかつて子どもだったすべての人々にひらかれた書物の宝庫となることをめざしている。"と、子どもが少ししてから読んでも、私のような少年からかけ離れた人間が読んでも、拒否しないようです。ありがたく読んで楽しんでいます。


2025/10/26

■ あるく ■ 菊が丘公園


またいつものさんぽ道。


 昨日の早朝は気温2℃、今朝は4℃。昼は10℃台で、日なたをあるいていて汗ばむくらいです。寒暖差は大きいです。


 が、まだ平野部の紅葉はもうしばらくかかりそうですね。少しずつ変わっていくのを気長に眺めることにします。

2025/10/25

■ あるく ■ 図書館で『文豪展』...


近くの市立図書館で『文豪読み比べ - 夏目漱石と太宰治』を特集しているんですが。

  で、展示の推奨図書に、漱石の著作も太宰の著作も全く置いていないんですが。

  展示してある書籍は、『文豪の食彩』『文豪と借金』『文豪聖地巡礼』『文豪たちの断捨離』『作家たちの17歳』『ダヴィンチ - 文豪特集』...って...。


  あの、事情通になりたいわけじゃなくて、作品そのものを読みたいんですが...。

  "作品などいいから、文豪の生活周辺を嗅ぎ回って稼ぐ出版物を読もう"、という趣旨の特集なんですか、ここでもやっぱり(🔗10/8) 。

2025/10/24

■ まなぶ ■ 夏目漱石・寺田寅彦・中谷宇吉郎エッセイの筆記具


 漱石『余と万年筆』は、短いですが万年筆の使用歴をユーモラスに描いていますね。

 万年筆についての著作で興味深いのは、個人的にはなんと言っても松田権六『うるしの話』(🔗2023/10/28)です。万年筆そのものの記述はごく短いのですが、作り手の側からする貴重で真摯な体験は魅力に満ちています。

 使い手の側からの記述は、玉石混交掃いて捨てるほどです。私のこのウェブログも箒の餌食のひとつでしょう。

 漱石の随筆は、ブリュブラックがイヤでセピヤ色の墨を万年筆に飲ませていた、など、豪快な話ですが、そこは、天麩羅蕎麦を四杯食って温泉で泳いだり、運動と称して墓場で墓石を片っ端から倒したりする江戸っ子の豪気なんですか。

 とは言え、万年筆は当時かなりの高級筆記具で、しかも彼のものは破損続きで、結局はペンを使って執筆していた時間のほうが圧倒的に多かったでしょう。

 "ペン"?...今ではボールペンか万年筆を指しますが、当時油性ボールペンやゲルインクボールペンがあったはずもなく、他方で"万年筆"と"ペン"を区別し、万年筆の中には"三百円もするのがある"と言う一方、"一銭のペン"と安物筆記具として対比していますので、この場合は、もちろん"つけペン"です。

 いずれにしてもやはり作家はペンか万年筆、というイメージですネ。

 愛弟子の寺田寅彦(物理学)は、おびただしい数の彼の随筆で、正面きって筆記具を扱ったものはないのですが、それら随筆の随所に"鉛筆"が普段の筆記具だったことが読み取れます。他に、漱石との出会いの最初からの因縁たる"俳句"や両者が好んで描いた"南宗画風戯画"は水墨毛筆で、また、水彩画・油絵など好んで画材に手を付けたようすが、複数の随筆に。(彼の随筆は、まさに、漱石が描いた寒月君で、飄々とした雰囲気に満ちているものが多くて、未だに愛読書です。)

 その弟子の実直な物理学者中谷宇吉郎の随筆では、鉛筆のことを書いたものがあります。

 寺田や中谷の文には、科学者特有の、世間一般に対する狭い精神地平を感じる場面も往々にしてあるのですが、中谷の、ごく短い随筆『鉛筆のしん』にも、かすかにそれを感じます。でも同時に、鉛筆の話を通じて、寺田寅彦や中村清二(物理学)の、ブレのない強い価値観から薫陶を受けたことが推し測られ、感銘を受けます。

 話の前半は、行儀・しつけについて、戦時中にはゆがめられた形で、戦争が終わった直後の今ではゆるくなってしまった、という趣旨の話を運びます。

 後半の三分の一程度を;

  "しつけといえば、すぐ、生活のしつけのことが言われますが、勉強のしつけ、学問のしつけも忘れられてはなりません。

 あなたの鉛筆のけずり方を、見てごらんなさい。むやみにしんを長く出し、その先をきりのようにとがらせてはいませんか。反対に、ちょっぴりしんが顔を出せば、それで平気でがさがさと、大きな字をなぐり書きにしてはいませんか。

「きりのしん」の人は、小さな事をいつも気にかける型、「ちょっぴりしん」の人は、ずぼら型といわれますが、本当はそうではなくて、そんな鉛筆を使っているから、そういう型の子供になっていくのです。

 ペンや万年筆は、使った後、ぬぐっておくものだということを知っていますか。賢人といわれた昔の中国の学者は、顔を洗わない日はあっても、硯を洗わない日はなかったといわれます。万年筆は、ぬるま湯で時々掃除することです。

 ノートの書き方、本の扱い方、学用品の使い方の、上手下手、手入れのよしあしというようなことは、つまらないことのようですが、これがその人の勉強に対する心構えを養う大変大切なことなのです。

 私が大学にはいった頃、中村清二という大変傑い先生がいらっしゃいました。私たちが、この大先生から一番はじめに教わったことは、何と、実験室の掃除の仕方と、ビーカーの洗い方でした。

 その頃は、くだらないことに思っていましたが、考えてみますと、ビーカー一つ満足に洗えなくては、立派な研究も出来るはずがありません。レンズを持つ時の注意、器械の持ち運び方、器械の触ってよいところと触ってならないところ。このような細かいしつけが、どれ程それからの私の研究を助けてくれたかしれないのです。"

 電動鉛筆削りはおろかポケットシャープナーも無い時代ですので、すべての国民が切り出しナイフで鉛筆を削るのが当然の頃です。

 振り返って今の私は、ここ数ヶ月はすっかり電動鉛筆削りで1時間ごとに1ダース(🔗8/26)、あるいはここ数年は、ポケットシャープナーを解体して刃を砥石で砥ぐ(🔗1023/12/30)などというみっともないことをしている気がします。

 自分では"いつもきっちり尖らせて快適に使っている"="いつも硯を洗っている"というつもりなんですが、しつけがなっていないかなぁ。

2025/10/23

■ あるく ■ 小坂町 - 鉱山博物館周辺


 つい立ち寄りたくなる小坂町の鉱山博物館周辺。

 前回は新緑の頃でした(🔗5/28)。今日は紅葉には早かったようですが、経路の途中ですので、気分転換に30分ほど散策します。


 新緑萌える頃ももちろんですが、それにおとらず紅葉の時期も佳いたたずまいです。

2025/10/22

■ つかう ■ ダイソーのメモ帳;見開き2週間バーチカル


 百円均一ショップで販売するメモ帳予定表のフォーマットのうち、"月間ブロック", "見開き2週間ホリゾンタル", "週間レフト"などは、コストの制約をいったん捨象すれば、比較的製品化しやすくつくりやすい(?)のかなと想像できます。が、"週間バーチカル"52週間分を100円で、というのはかなりのコスト高だし、人気や需要の点を考えると、まぁ販売されることはないだろうとは思っていました。

 以前からあるのかどうか、今日初めて、ダイソーに、"週間バーチカル"ではないものの、"2週間バーチカル"を見つけました。振ってある時間軸は、私個人にはちょっと使いづらいのですが、細部にさまざまな工夫をこらしてあるようで、110円の参考書代と思って購入。自分でつくっているレフィル(🔗8/7)の参考にします。


2025/10/21

■ あるく ■ 岩手山 "焼走り"


岩手山麓の"焼走り"、溶岩流痕です。

 夜が明けて30分くらいして、山の稜線の向こうに朝日が達してきました。気温3℃。

 来るたびにこころを打たれます。

 岩手山の巨大な山体はかなりの部分が雪に覆われています。


 晴れの日は良い光景でしょうが、秋の冷たい霧や雲がゆっくりゆらりと動く光景も、非日常的でこころに迫るものがあります。

 周辺は紅葉が進んでいます。東北地方北部は、今年の場合は9月から秋めいて、10月に入ったとたん朝晩の冷え込みが大きく、気温差が激しいですので、きっと鮮やかな紅葉となるでしょう。ここはあと1週間ほどで真っ赤に色づきそうです。


実に厳しい雰囲気ですが、北東北の美しい光景の中で暮らしている実感を強く覚えます。

2025/10/20

■ あるく ■ 「わら焼きをやめよう」のぼりは有効ですか


 所用の都合で、いつもと違う国道バイパス沿いの道をあるきます。


 やはり今年も『わら焼きをやめよう - 青森県』幟(のぼり)...(cf. 🔗10/12)。

 これを見たわら焼き常習農家が、「あ、そうなのか、わら焼きってよくないことなのか。よ〜し、今度からやめるぞ。」と考える...とでも、思っているのですか?

 ポイ捨てを・不法投棄を・いじめを・不健康な生活習慣を・犯罪を、「やめましょう」と書いた幟を立てて呼びかけると、ピタリと皆、無くなりますか。

 その割には、この毎年恒例の幟、記憶にある限りでここ30年ほど、夕方わら焼きの煙の中になびいているのを毎年見かけます。毎年新品の幟を業者に発注し、毎年わら焼きの煙の中に虚しくたたずみ、毎年捨てられ、毎年新品の幟を業者に発注し...。

 発案及び設置責任者の「青森県」という人たちは、そういうレベルの思考の人たちなのかな、やはり。先生に褒められる学級委員みたいな人たちの集団...。

 わら焼きをやめ、有効活用するために、農家自身が担わなければならない負担は大きいのでは。


 わら焼きをやめ、代わりに画像の稲わらロールをつくるには、知識・技術・労働力コスト・重機に準ずる規模の農機具と燃料等の設備投資コスト...。また、作業する時期は、収穫の時期で、作業が重畳的に集中します。家族経営の農家にとっては、過大な負担です。

 で、そんな稲作農家が、お役所に支援してもらいたいことは...苦しい自分たち農家を敵視してノボリを立てて懲らしめることじゃないだろう!?

 している仕事の8割が国の仕事をお金をもらって下請けしている"3割自治"の"都道府県自治体"って、その存在価値は...。

2025/10/19

■ あるく ■ 街なかの水路沿いの道


秋めいてきました。明け方の薄明前の刻に、東の空に見える月齢26"若潮"の月が、流れの速い雲の合間にすっきりシャープに見えていました。旧暦中秋の月は、ほんとうに冴えています。

 夜が明けて朝の気温は9℃。むしろ寒いです。

 昼休みをとって、日々の買い物に、いつもの水路沿いの道をあるきます。

 ふわふわの綿毛を手でよけながらあるく感じです。

 道を渡ろうとしたとき、道路の混み具合から、今日は日曜日だと気づきました...。

 二十数年間、細々と仕事をしていた先日まで、やはり"週7日ある平日のうち、日曜日という平日がある"という意識でした。"この日曜日の仕事の内容はコレこれ"ですが、それが世間様のお休みの日なのかどうかは関知しないような生活...、などというのも、それなりに充実感があっていいのかなと今思っています。今後も自分ではそれで。

2025/10/18

■ なおす ■ 室内断熱に農業用マルチシート


もうまた(🔗2024/10/19)、室内を農業用マルチシートで断熱する作業の時期になりました。今日は冷たい雨が降り、朝の気温10℃。今シーズン初めて暖房を入れました。

 ドアというものが、玄関以外1枚もないこの建物。冬は、暖房効率を上げるため、ドアがわりのロールスクリーンを補うように、農業用マルチシートで仕切りをします。開口部をおおって、養生テープで留めるだけです。

 "暖かい部屋でのんびり"という生活は、7ヶ月先の来年5月まで、どっかの遠い豊かな国の幻ではありますが、農業用マルチで狭く仕切ったこの空間の、真冬の断熱効果は大きいです。真冬の外気温がマイナス10℃台の日々も、こじんまりと居心地よく、ほんのりと暖かさが続きます。

 もちろん"見た目"には、貧相な住居が、"ビニールの覆い"でますます貧相に見えます。"ビニールハウス"に住んでいると表現できそうでしょうか...。

 が、デスクに向かうときにはテカテカのビニールが見えずロールスクリーンが目に入るように工夫しているつもりです。


 これでどうぞなんとか次の冬も暖かく乗り切れますように...。

2025/10/17

■ なおす ■ 紙モップ


 小さいサイズの紙モップ、例えば"クイックルワイパー®"が、かつて流行しました。ドライタイプもウェットタイプも使えるし、糸モップや化学モップにくらべると、汚れたら捨てればよいですし、その点で掃除をしようという気持ちになったときに心理的ハードルが低くて、有用です。

 とはいえ、使っていると、一般家庭であっても、サイズが小さすぎる上、品質が低すぎるので、ストレスもつのってきます。

 他方、仕事場で使っていた業務用サイズの紙モップ(テラモト製)。サイズの巨大さは言うまでもなく、交換用のシートも肉厚です。その分コストもかなりのものです。

 クイックルに比べると、やはり威力の大きさ、集塵力やかかる時間の短さなど、クイックルの比ではありません。

 「だから業務用が優れている」と結論づけたいところですが、クイックルなら細かいところに届く、コストがうんと安い、ウェットタイプもある、など、おかげで狭小ながら私の倉庫の延長みたいな陋屋といえど、掃除をする気持ちになり、結果的にすぐにリフレッシュできますので、優劣なく両者の恩恵に与っています。

2025/10/16

■ なおす ■ ロードスターのリコール


 今回のリコールは、3月のもの(🔗3/13)と異なり、DSCユニットの全交換と、かなり大がかりでした。 

 5月に初めてアナウンスがあり、メーカー本社より郵便にて"秋頃に改めて案内する"と通知あり。先日(🔗9/20)封書で改めて、入庫案内通知があり、本日作業にこぎつけました。

 DSCユニットごっそり交換とそれに伴ってブレーキ周りの新車製造時並の徹底再調整、動作確認作業など、気が遠くなりそうな作業ではなかったでしょうか。


リコール処置完了のマーカー確認。3時間の作業、たいへんおつかれさまでした。ありがとうございました。メカの皆さん、遅いお昼ごはんをゆっくり楽しまれますように。



2025/10/15

■ つかう ■ シャープペンシル「ぺんてる Orenz」を使ってみて


 鉛筆6Bを使い続けたいのですが、細かい英数字をたくさん書く必要が あって、なるべくシャープさが持続してくれたら...。その際のみシャープペンシル(シャーペン)を使ってみようかなと。

 自動芯送り機構が備わっていなかった初代Orenzは使ったことがあります。

 その機構が備わる最新型を、0.3mm, 0.5mmと、ここ2,3ヶ月ほど使ってみました。

 感想を2点のみ。

 1) 重い...。

 Orenz0.3mmは、金属パーツ製でリジッド感に満ちあふれています。


 Orenz0.5mmは、外装のみならず内部機構にも敢えて樹脂パーツを新開発投入した野心作です。


 ここ2,3年ずっと使い慣れた鉛筆。その3倍以上の質量ですか...。


 Orenz0.3mmは、重心という1点があるというより、全体に重いボディです。

 「鉛筆をかなり立てて書く」ことがここ数ヶ月で可能になりましたので、重さがあっても、自動芯送り機構のおかげで、そう苦痛ではないです。逆に、"寝かせて、かつ、いちいちノックして"書き続けるとしたら、1日で投げ出していたかも。

 芯を、0.3mmでは最も濃い2Bに、0.5mmでも最も濃い4Bにして使っています。所期の目的は達せられているのですが、薄いです。さすがに鉛筆6Bの比ではないですね。

 2) 書くたびに弾力性がある。

  自動芯送り機構のゆえか、軽く筆圧をかけるたびにクニョクニョするという、経験のない書き味。一定の慣れが必要です。

 これには、いつまでも嫌悪感を拭いきれない方も一定数存在するでしょう。例えば、"狂い"や"遊び"を許さないようなカッチリした書き味の同社製"SMASH"ですが、長年に渡り強固な支持層が存在します。この愛用者にとっては、Orenzのクニョクニョ感は、対極に位置する天敵のような書き味と曖昧な操作レスポンスに感じられるかもしれません。

 今後も使い続けるだろうか...。"0.4mmで4B"などいうニッチなものが出たら使いたいですが。それでも、重量感が違いすぎます。今は、鉛筆を持つと、気持ちまで軽やかになり、しかもごく軽い筆圧でも文字がクッキリと書けますので、心底ホッとします。

2025/10/14

■ あるく ■ 津軽平野北部の"葦野原"


今日も秋晴れの穏やかな良い天気。画像は昨日のドライブの帰りです。

 一級河川"岩木川"の下流域の広大な河川敷に、葦野原が広がっています。(syn;🔗 2024/12/2 )


 "葦"の読みは"アシ"ですが、"悪し"の音を嫌って"ヨシ"とも読まれるようになって数百年。同じ植物です、が、植物学的に種類はいくつかに分かれます。

これも、物心ついたときからあたりまえの光景ですが、実は貴重なものだそうです。

Google AI 検索

環境省のサイト(🔗環境省 ウェブサイト)では;


- 生物多様性保全上重要な里地里山 -
選定理由 - 岩木川の芦野地区から、十三湖に至る11kmの両岸に約400haに広がる、日本でも有数の面積を誇るヨシ原である。
茅葺きや簾、漁具など生活用品の素材にするために、古くから地元住民によるヨシの刈取りやヨシなどの野焼きが行われ、ヨシの純群落が保たれていることから、オオジュリン、コジュリン等の草原性の野鳥をはじめ、希少な鳥類が多く生息している。また人里も近く、イイズナの生息も確認されている。
保全活用状況(取組状況)- 現地ではヨシ原の研究者や、ヨシを刈払い、建築資材等として利用している業者が居り、保護活動や鳥類の観察会等も実施されている。
今でもヨシは茅葺き屋根の材料、りんご栽培で重要な役割を果たすマメコバチの巣の材料として活用されている。
その他参考情報  - 日本の重要湿地500

白波がゆらめいているようなふさふさとした白い葦野原に、実際にたたずむと、私などは小さい頃の原風景として、まずは広大さへの恐怖感。しかし今では、こころなごむ遠景です。

 "河川敷の植物などクマの通り道になるだけだから、すべて伐採して燃やしてしまえ"と、公然と個人ブログで主張する農家の方も存在しますが(🔗10/12)、あんまりなのでは...。

 この光景がなくなるだなんて、悲しいです。

 東北の川風景100選(🔗東北地方整備局)では、さすがに一般人の取れない視点から撮影されていて、どれを見ても溜め息の出るようなすばらしい画像です。


ついでに、近くの藤崎町河川敷に渡ってくるハクチョウ。この皆さんは、すっかり餌付けされ、ヒトを信頼しきっていて、餌をもらいに寄ってきます。ほんの10kmほど離れた、私のさんぽみちの"廻堰大溜池"では、はるか遠くにヒトの影が見えた途端、コロニーの皆がいっせいに逃げるというのに。


いずれにしても、永くあり続けてほしい光景だと信じています。

2025/10/13

■ あるく ■ 平舘灯台


青森市内の親類を訪れた後、薄曇りの秋空のもと、暖かく乾いてさわやかな風に吹かれるように、自宅に向かわず、陸奥湾岸をゆっくり北上。

 青い空と青い海を背景にした白い灯台は、"灯台"の絵としていちばん映えるのですが、今日はどうかな。

 いつもの旧街道の松林。波音を聞きながらしずかにゆっくり抜けます。


 すぐ平舘(たいらだて)灯台・平舘台場。

 空は高層に巻層雲。高気圧下にのびやかに広がる秋の雲。気温は穏やかで、海風が気持ち良いです。


 "台場"という単語は、幕末に設置された砲台を言います。ここにもその謂れが掲げられています。


 が、それよりこの旧幕時代以来の松林の見事さ。さすが殿様時代のお役所が手を入れただけあって、幕末情緒が漂い、しばし見とれます。

 あ、肝心の平舘灯台は、足場が組まれ、お化粧直し、つまり塗装工事中だそうです。


 30分程度散策し、1時間半ほどかけ、山を越え、藁焼き煙る靄の津軽平野を縦断してゆるゆると帰宅。

2025/10/12

■ まなぶ ■ 津軽平野の藁焼き


津軽の風物詩。

 ...と表現すれば風情がありますか。通称"藁(わら)焼き"、"藁焼き公害"。

 津軽平野の田んぼという田んぼが、いっせいに火祭り状態です。

 つまり、稲刈り後の稲わらの焼却のことです。Google先生の解説は過去形になっていますが、トップ画像でおわかりの通り、毎年変わらず現在進行形ですよ。


 稲刈りは、今どきはどこでも、コンバインで刈り取り、コンバインからは作業時に同時に、鋤き込みに便利なように裁断した稲わらを排出します。稲刈り直後に、稲わらを改めて土壌に鋤きこんで土中にて冬中にゆっくり腐敗させ、菌類細菌類などの生態系分解者に委ねれば、翌年の土壌改良につながります。

 が、津軽の人間はそれをせずに、さっさと燃やしまくって、すぐに首都圏などに冬の4,5か月間"出稼ぎ"に出発します...。

 このスキームが、昭和やそれ以前から続く"寒冷地の貧農=津軽地方"の決定的印象です。

 藁焼きの匂いとせき込むような煙が、せつない冬の到来を告げるようです。

 と同時に、このスモッグは、人工的な濃霧に近い存在で、重大な交通事故や交通障害、健康被害をもたらしてきました。

 街中にあるあなたの家の中にまで煙は入り込み、布団や衣類や洗濯ものにびっしりと煙くささがこびりつきます。逃れられる場所は無いです。

 "農家に限って、野焼きは許される。植物は二酸化炭素を吸収して生長したのだから、これを燃焼しても、二酸化炭素をもとの空気中に返したダケだ。カーボンニュートラルは保たれているんである"と主張する論者は、もちろん自分の利欲が絡んでいるからです。数十年数百年かかって吸収した二酸化炭素を、いきなり一瞬のうちに放出する、それもあなた個人の金銭的利益のためだけに...。あなたの利益のためなんだから、他の人類は交通事故や健康被害くらいガマンしなくては...。

 最近ではさらに加えて、"クマの通り道となる河川敷の植物という植物は、徹底的に伐採して燃やしてしまえ!"という論も果樹農家から主張されています。(🔗8/20のクマの珍情報源(個人のウェブサイト))

 都道府県自治体では、その意見を支持していないようすですが、どうなのでしょうか。

 青森県庁のウェブサイトでは、「法律上も条例上も野焼きは禁止。稲作農家の藁焼きは弊害がある」として抑制する傾向です。

 "交通事故多発"は今は置くとして、誰にでも起こり得る"健康被害"を、「🔗稲わら焼却による大気汚染状況調査結果(R6)」(PDF文書)にてまとめています;

〈調査項目について〉
○浮遊粒子状物質(SPM
大気中に浮遊する粒径10μm以下の微細な粒子。自動車や工場の排ガス中の化学物質のほか、火山灰や黄砂等の自然由来のものにも含まれ、大気中の光化学反応により二次的に生成される場合もある。 
○二酸化窒素(NO2
主として、重油、ガソリン、石油などの燃焼により発生する一酸化窒素が、大気中で酸化されて生成する。二酸化窒素を含む窒素酸化物(NOx)は光化学スモッグの原因となるほか、人体の中枢神経系に影響を及ぼし、呼吸気道、肺等に障害を与える。
○微小粒子状物質(PM2.5
SPMの中でも直径2.5μm以下のもの。通常のSPMよりも肺の奥に入り込みやすく、吸い込むと肺がんや循環器疾患の原因となると言われている。

 SPM、NO2、PM2.5の各濃度とも、稲刈りとそのスモッグ発生時期には、跳ね上がっているグラフが、このPDF文書からは、容易に視て取れます。

例; PM2.5濃度

 市町村自治体の採る対策はといえば、『藁焼きはやめましょう』というノボリを主要国道県道バイパス沿いに立てるという無能ぶりです。

 "津軽地方だなんて、貧しい稲作農家地帯なんだから、鋤きこむという手間ヒマ費用を惜しんで稲刈り後はすぐ出稼ぎに"、というスキームは、今でもこの津軽地方にやはりあるのかなぁ、農家の皆さんが豊かに暮らすためにガマンしなくちゃだめかな、やっぱり...。お米はあんなに高いのに...。街場の路地裏にすむ私は妙に目がしょぼしょぼして涙が出てきました...ごほごほ。

2025/10/11

■ お酒をいただきました - 人気酒造純米大吟醸


清酒をいただきました。二本松のお酒です。

 南東北在住の方からおみやげで。いつもお気づかいありがとうございます。

 およそ大吟醸酒は、重量感よりも、ただよう軽やかな空気感が命です。これは、純米でありながら、その軽い空気感に加えて、磨いて醸したお米の大吟醸酒それぞれに特有なフラワリーな香りを、ぞんぶんに楽しめる出来です。青森のような田舎には造れない、進取の気風ある東北南部や信越の洒脱さを満喫できました。


 少しずついただき、しばらく楽しむことにします。