■ 作品番号が若いですね。聴いてみましょう。
■ やはりいつものスタンス(🔗2023/3/22)で、作曲家の置かれた状況だ背景だクララだその父だ演奏家の経歴だ受賞歴だ...は、いっさい知らないってことで。そんな事はWikiやYouTubeやそれをパク 引用しているあまたの事情通なおじさんたちにお任せ。
■ 私たちは、そんなこと論ずるより、"音楽"に耳を傾けて感じ、気持ちを豊かにしましょう。
■ この”舞曲集”は、1曲2分前後の小ぶりな曲が計18曲。全曲通して聴いても、演奏時間はDa Capoなしの演奏なら30分。
■ 冒頭1番の導入が、マズルカ風の、陰影とためらいがあるリズムながら、軽やかな足取りで、ふと脳裏に浮かんできて、ついまた聴きたくなるんです。
■ 楽譜を見ると、演奏者がとまどう文学的注釈...(拙訳)。
悦びと苦しみは縺れ合う:
悦びには謙虚に
苦しみには勇んで、備えよ
■ 大学生時代に大学講義にも行かずにどなたも没頭したに違いないドイツロマン派のジャン=パウル『巨人』『陽気なヴッツ先生』の強い影響を実感します(?)。"同盟"といい、上の楽譜の左手の"Motto"の表記といい、この記事の楽譜の最下段最終音フェルマータ下の[F. und E.]という不明な表記といい、文学の霧に包まれたお話がまとわりついています。知るのも楽しいですが、生涯知らずに音楽を楽しむだけでも、じゅうぶんすぎるほど夢想の境地に遊べる曲集だと思います。
■ そのうちの、第13曲を。"Wild(荒々しく)(A部)、und lustig(そしてほがらかに)(B部)+(おだやかなCoda)(C部)"を、何人かの演奏で比べてみましょう。なお、たった3分ほどのこの曲の、"A, B, C部"は、私の勝手な区切り方です...。
【A部; 荒々しく】非常に強く勢いのあるオクターヴの打鍵。左手の指のレンジが教会パイプオルガンペダル並みに広く、スフォルツァンド記号もクレシェンド記号も頻繁で、ゆえに猛烈な強打が必要です。
■ ここでいま取り上げる演奏家に不満は何ひとつないです。
■ 他方、YouTubeにアップしている多くの若い日本人演奏家らの、左手の打鍵が、弱すぎ丸すぎ腰が引けていて、聴き続けるのが苦痛です。まるで、書家の手を書展で見た後に、ネットのブログで個人の手書きの丸文字を見せられるような見苦しさが...。YouTubeのおかげで広くいろいろな演奏に触れられるようになり、個人ブログにも「これもいいなぁ」と根拠も示さず安易にそのリンクが次々ベタベタ貼りつけられているのに出くわします。なんだか醜悪さすら漂います。玉石混交な広漠とした情報洪水の世の中、自分を磨いて、聴き分け見分けるしかないと痛感します。
■ デムス盤(Documents;1970盤)(🔗2024/11/28)。個人的にシューマンピアノ曲のリファレンスとなるような刷り込みは、ここ40年ほど、彼のこのステレオ初期の全集です。LPの時代には飛び飛びに、その後、13枚の全集を、数十回か数百回か、通して聴いてきました。
■ ポリーニ盤(DG;2001年)。デムス盤を踏襲した伝統的で模範的な解釈です。彼の晩年のDGの録音に共通ですが、ホール残響やペダル残響が多く華やかな響きです。が、それよりも、彼特有の、信念に満ちた打鍵の強さ、流れの美しさは、感服せずにはいられないです。晩年になってこのシューマン初期の作品を録音したんですね。
■ ウーリヒ盤(Hänssler Classic;2014年)。2021年の時点でシューマンのピアノ曲全集Vol.15まで完成させているのですが、その後、全集セットを発売しないのみならず、本人のYouTube及びYouTubeMusicサイトで、全アルバムを無料開放しています。唖然...。どのような意図・戦略なのでしょうか。15枚全てにわたり、実によく考え、練り、悠然とした器の大きな演奏。このOp.6の13曲目は、少し影のある鬱屈した歩みですが、確固とした非常に強いアタックで、驚きを呼び起こします。
【B部; そしてほがらかに】
■ 豊かなレガートを幾重にも重なるスラー記号で。
■ デムスもポリーニも、強いA部の残響の勢いのある水しぶきをかぶったままどんどん漕ぎ出していくかのような爽快感があります。
■ 他方、ウーリヒは、力で押すA部を一瞬、フと断ち切り、あらためて泰然とB部のレガートに乗り出します。この間(ま)のつくりの発想に、うならされてしまいます。ウーリヒは、全アルバムを通して、曲想について実に深い新たな熟慮を得ています。
■ 内田盤(Decca;2014)。上の人たちとは、いやこれまでたくさん聴いたどの演奏家とも、まったく別の道を行く大きな包容力を感じるのが、内田でした。彼女も、活動後期になってからこのシューマン初期の作品を録音したんですね。
■ A部からB部を間断なくつないでそのコントラストの豊かさを際立たせる伝統的解釈とは、きっぱり袂を分かつような、その響きとためらいの麗しさには、もう魂をすっかり奪われます。そのレガートは、力みを抜ききって、静まり返った水面の凪を、なめるかのように静かに滑空します。
【 C部; コーダ】ホルン5度の響きが重なるドイツ伝統の角笛の響き。
■ 右手から左手へとクレッシェンドしつつテンポをあれよあれよと上げ、大波のようなデュナーミクが寄せ、すっとリタルダントして引いて消えていく見事さが、息をのむような聴き所です。
■ ポリーニやウーリヒのあざとさに舌を巻きます。
■ が、内田の、陶酔して気を失うような美しさ...。この人は、おそらく、考えては弾き、考えては弾き、...を、数百回数千回繰り返して磨いたものでは...。まるで単なる主観的連想の比喩ですが、楽譜をバラバラにほぐして、音符を1音1音とりだして、磨き、下塗りを重ねて、研ぎだし、磨き、また塗っては、を重ねて、最後に漆黒のつややかな漆を仕上げ塗りし、あらためて組み直したところ、そのつややかな漆黒の縁辺に、美しい下塗りの朱や緑が釉を透かしてほのかに美しく見えるかのようです。