2025/09/28

■ あるく ■ 田んぼの道


秋晴れの日曜日。風も穏やかです。少し遠回りしてあるきます。

 稲刈りも終盤。すっかり静かな雰囲気になりました。静かな農道をあるきながら聴くピアノの音が澄んでよく響きます。

 図書館2館をあるいてかけもちします。1万5千歩コースでしょうか。

 あ、日曜の道はやはり混んでいました、クルマで。で、あるく人にはやはりまったくすれ違わなかったりします...。


 かなり大型ですが個体数の多いシラサギ。なかなか用心深いです。そっと近づくんですが...


 気づかれたか。

 近くの小学校。植えられた弱弱しい銀杏なんですが、色づいてきました。


2025/09/27

■ まなぶ ■ 教科書を読...まずに、絵を眺める - 中学1年国語

H.ヘッセ/高橋健二訳『少年の日の思い出』
「新しい国語 1」東京書籍 (以下同書)

変な見出しですみません。実は自分が小学生だった時以来ずっと、"教科書"に対して持ち続けるこころの不満...半世紀以上も腹ふくるる思いです...。

 その1は、『教科書の挿絵って、どう思いますか。あった方がいい? なくていい?』 (って、"その2"以降もあるのか(;^^!?)

 「美しい絵・上手な絵なら、あっても良い」という中間論もありそうですが、美しくて上手という伝統的評判が定着したような著名な画家の挿絵ならいいってわけにもいかないのでは...。

 美しくないけど上手かもしれないし、美しいけど児童生徒の目からして"上手"か判別不可能かもしれません。童話『カチカチ山』の挿絵に、"即興"時代のカンディンスキーや"プロトキュビズム"後のピカソが挿絵として添えられていたら...。

 翻って、たとえば李白『月下独酌』の白文を、5回目50回目に、別な装丁や好き勝手な挿絵が施されたものを手に取り、それも見ながら自由に読み下すのは、それなりに気軽な楽しさがありそうです。そこにシュルレアリスム期のクレーの挿絵があろうと、青の時代のピカソの挿絵があろうと(著作権の話は置くとして)。

 でも、13歳中1が、生まれて初めて芥川『羅生門』のすさまじい世界に触れるとしたら...。

 ひとりで、静かに、文字を読み進み、考え、想像し、さらに読み進もうよ。

芥川龍之介『トロッコ』
(...わかる気がするのですが
視点を固定され押し付けられそう)

 バカげた挿絵で、若い想像力は一気にごく偏狭な制約を受け、作品そのものなんてめちゃくちゃにされそうです。

 初めてその作品を読む13歳にとって、13歳の読解力で読み進む日本語の文よりもはるかに高速にいきなり目に飛び込み脳を刺激するイラストの方が、訴えかけ支配する力が強いのでは?

芥川龍之介『トロッコ』
(...ぽつぽつキラキラ
ナニ? なんで? いる? 
(蜜柑のようなんですがね))

 芥川よりもイラストレーターの方がずっと大きな存在です。

 本を読むのは、本質的に孤独で抽象的な要素があります。だからこそ、自分の脳という、真っ白い広い紙の上で、想像力を大きく広げ、自由に描けるのでは。

吉橋道夫『さんちき』
(雰囲気はあるんですが)

 ら、その場、自分と著者の間に、いきなり割って入ってくる無関係な猥雑なイメージ...。

吉橋道夫『さんちき』
(死んだ侍のイラストらしい...
口や鼻はどのへん?
頭や首はどう曲がってるのコレ? )

 著作者の予定しなかった後づけのイメージがべったりと貼り付けられるのは、"編集者"という知的な点では短絡的な暴君が、"親しみやすいだろう", "わかりやすいだろう", "ウケるだろう", すなわち"売れるだろう"という異次元の要因を混入させるからではないかなと思います。

 検定教科書も、どれも同じようなレイアウト...。

 現代の書籍というコモディティは売って儲けるためにある手段にすぎないのですから、それで良いのですが、せめて教科書では...、"禁止にせよ"とは思わないのですが、まったくイラストのない検定候補品もあってよさそうなんですが...。さすがにナシにできないか。調達権限のある教育委員会のメンツが採用してくれない、つまり"売れない"ですよね。

 岩波や新潮の文庫本を開くのは好きですが、イラストが無い点もその理由の一つかもしれないです。

2025/09/26

■ つかう ■ 金ペンでなくても...


万年筆の値上げが止まらない、のは、興味がある方なら耳タコです。

  Pilot製の"カスタムURUSHI"は、初出時の2016年は、高品質で納得のいく価格に、しばらくは入手できずに、待ち状態だったようです。

2016年9月 
デビュー時のPilot Website
¥88,000 + 税

 ごく数年の間に2倍の価格となり、今は165,000円ですか。でも、他の万年筆に比べると、2倍の値上げなら穏やかな方です。

2025年
¥150,000 + 税

 純金が暴騰するのは関知しないのですが、万年筆に必須の素材なのですか。

セーラー万年筆 公式通販サイト

 ...と主張されるのも、昭和の頃から耳タコです。

 「腕時計に」「指輪に」「耳輪に」「首輪に」(カタカナで言えよ,って(;^^?)、「純金は必要か」という議論も、堂々巡りでしょうか、やはり。宝飾品・奢侈品としては、いくら贅沢で高額でも良いと思います。彫金技術なども発達し、経済的にも社会的にも豊かな文明が...。

 それはいいとして、話を「実用的な筆記具」とする場合、20世紀前半までならまだしも、現在の冶金(金属の素材・精錬・加工)技術では、"耐蝕性""弾性変形性"を、"筆記具としての実用性"に応用する程度の範囲ならば、「純金が存在しなければ工業製品として成り立たない」「純金を使用するがゆえに優れた製品である」ということは無いのでは?

 しかも、国産の場合特に、その"仏壇カラー"なデザインといい(私はキライじゃないですが)、ハイエンド高級品がなぜか一様に"仏教","文化芸術"モチーフだったり(私はキライですが)...。使用者のすそ野をあらたに広げる努力は無く、むしろ煙たがられて避けられるような世界では?

 たとえばゲルインクボールペンに「耐蝕性」「しなやかさ」「所有の満足感」「漆工芸」などと蘊蓄を語り、『鳳凰』『四神』『七福神』『曼荼羅』なんて名前を付け、価格を100倍くらいに上げて、高付加価値でメーカーにうまみのある製品で統一したら...?

 売上がどうなるかは誰でも予想できそう...。

 日本の万年筆も、機械式腕時計と同じく、実用を捨てた宝飾品としての運命をたどりそうです。

 せっかく軽やかな書き心地と独特な構造をもつ無二の筆記具なんだから、小難しい蘊蓄や高価格のまとわりつかない、新しい素材("珍しい金属"を意味しない)や新しい発想で未来を拓くような抜本的なブレイクスルーが、いま現れてくれればいいなと思います。

カクノ; 善戦中...。
ペン先が細すぎ追従性が悪く、
胴軸が華奢で低品質なので、
児童用の外観をしてはいるのだが、
力加減を知らない児童には使えないかも

ペリカーノ; 意気盛ん。
高剛性で高耐久性。持ちやすく親しみやすい。
義務教育の場で大量に使われるからだろうけど。