2025/01/03

■ まなぶ ■ 屋根雪 2

唐招提寺金堂 ,  東大寺大仏殿
 故宮紫禁城 - 北京 ,  故宮博物館 - 台北
※ いずれも、屋根の構造が「寄棟造り」

昨日の続きで失礼します。「片流れ」屋根の、雪国での適性の話でした。

「片流れ」wikipedia

 昨日の、2軒隣の家屋。先ほど昼前から雪下ろしをなさっています。まさかこのサイトを昨日ご覧に...ってことはなさそうですが。連日の降雪で必要を感じたのでしょう。どうぞお気をつけて。

 昨日の画像の家屋は、上も下も、いずれも「切妻」屋根です。

 形状は、まるで本を開いたままページ見開きを机にかぶせたかのように、断面「へ」の字形状の、2面からなる屋根の面構成。中央の尾根を"棟"あるいは"大棟"といいます。

「切妻」wikipedia

 シンプルな構造ゆえに、施工費が低コスト。棟が1本なので、水はけがよく雨漏りしづらく、メンテナンス性もそのメンテコストも良好。天井裏の通気性が良く、ついでにソーラーパネル設置方向も面積も広く確保できるようです。

 欠点としては、住宅建築にもっともよく採用されているので、没個性で、特に平屋の民家だと、高級感に欠ける、と言った程度でしょう。

 他方で、日本の住宅建築で、特に近時、雪国でもよく見られるようになったのは、「寄棟」造りでしょう。

「寄棟」wikipedia

 その特徴は、何といっても、醸し出す重厚感や高級感の雰囲気が歴然です。トップ画像のとおり、宮殿や仏閣といった歴史的建造物にも重用されています。

 古来から中国や日本、また西洋でも、風格ある巨大建築に用いられ、見るものを圧倒します。

 一方向から受ける風に対する面積を低減するため、耐風性に優れる点もあるそうです。

 思うのですが、雪国には不適な面も...。

 かつて20年ほど前、わが家の出入りの大工の棟梁Tさんが、すぐ近所に建築中の「寄棟造り」の「平屋の大邸宅」を指さして、「アレ、冬はどうすんだろうな?」と言っていたのを覚えています。そのときには私には意味がわかりませんでした。

 屋根の「尾根」にあたる"棟"は、「切妻」が1本で済むのに対して、この「寄棟」は、中央の水平な "大棟" 線のほかに、その両端から2本ずつ派生する "隅棟" が4本、計、最低5本の "棟"線 が必要です。ゆえに、初期の建築コストが飛躍的に高額となります。

 "棟"は、屋根の面と面の継ぎ目にあたり、風雪の攻撃にさらされて破綻するメンテポイントでもあります。切妻構造に比べると、飛躍的に多くなります。加えて、天井裏通気性は他のどの構造より劣ります、 特に、家屋内暖房で湿る屋根雪と天井裏湿気を冬のあいだ数か月間たくわえる雪国の屋根としては...。

 また、今ここで言いたい最大の欠点が、「屋根雪が、すべての壁を取り囲むように、四方八方に落ちる」点です。


 ただし! 考えてもみれば、「寄棟造りの平屋の大邸宅」は、その施工主となる客層といえば、年輩の富裕層です。

 自前の住宅建築資金は潤沢にあり、あまたある周囲の住宅と一線を画すような、自分にふさわしいゆとりと風格の表現を希望する一方で、老後のことを考えると、階段の上り下りは避けたい...という発想ではないでしょうか。

 対照的な住宅購入客層として、たとえば、"若い共働き夫婦"像が挙げられそうです。格安で実用的な家、すなわち、無落雪屋根をもつ、窓が小さい、高気密・高剛性・コンパクトなサイコロ型の2×4住宅"を、"30年ローンを組んで"、といった商品がウケるのではないでしょうか。若い彼らには「寄棟造りの平屋の大邸宅」なんて思いもよらない構造でしょう。

 さて、気づくべきなのは、富裕層であるとすれば、「生涯にわたって、『雪かき』『除雪作業』など、まったく経験せずにすむ社会的身分」であり、自宅建築に際して、雪の苦労や面倒を考慮する必要は無い層でもある、という点です。

 自宅の除雪作業は、住まう自分やその家族がする作業ではないし、また、屋根が壊れたら、住宅販売会社や大工に直させる、あるいは家ごと建て直せば良いだけです。

 だとすれば、寄棟の平屋大邸宅の重厚感は、がぜん、大いに魅力的となりますね!

 とうぜん私には縁がない世界です。したがって、大工のTさんっ!、施工主が冬に直面する事態のことを心配してあげなくてもよいんですよ

 ただ、願わくば、そこの除雪作業を現実になさる労働者の方々の、心身の健康と、辛酸に報われる生活の保障がありますようにと、ほんとうにこころから祈らずにはいられません...。

2025/01/02

■ まなぶ ■ 屋根雪

近所の郵便局

「ずしん」と落雪の音。いつもと違う音なので、出てみると、2軒隣の空き家の屋根雪が落ちたようです。↓


 雪が多い冬です。


 ↓のボイラー(H=180cm)は埋まりそうです。


 追加で、隣家から投下されそうです。


 屋根雪は悩みの種です。



 完璧な回答のひとつが、(「落雪対策」の観点のみ考慮するとすればの話ですが、)「片流れ」形状の屋根です。

wikipedia-片流れ

 今日の一番上↑のトップ画像は、地元のすぐ近くの郵便局なんですが、毎年、冬になってこの建物を見るたびに、惚れ惚れします。よくぞここまでキッパリ割り切った建築設計を!と。

 当地域に雪をもたらす季節風シベリア寒気団は、もっぱら強い西風です。防雪壁などは西面に建てるべきです。他方、一般的に、あちこちで屋根雪がいっせいに落ちるのは、昼過ぎの気温が高まる時間帯、すなわち太陽が南中を回って西に傾く午後の時間帯です。

 トップ画像は、アンテナの向きで方角がおわかりの通り(?)、片流れの屋根が西斜面を形成しており、西面の屋根と壁は、徹底的に落雪・耐雪と換気通風が考慮されている一方で、郵便業務オフィスの入り口や窓口は、東側と南側に大きな明るいガラス壁として確保しています。

 昼なお暗い雪国の冬ですが、ここの郵便局の利用客は、強い風にもあたらず、明るく居心地の良い郵便局で用を足せる設計となっています。

冬の悪条件と地元の落雪の条件を計算し尽くしたこの建物の建築士さんは、エラい。

2025/01/01

■ きく ■ C. P. E. バッハ - 弦楽のための交響曲 Wq 182-2

■ たとえばの話。いなかでの閉塞した息苦しい因習に縛られた長年の生活。が、大都市に出、 今日から、新しい生活をするとしたら。あらゆるしがらみから解き放たれ、深呼吸して自由に羽を伸ばして、生き生きと思ったとおりにのびのびと活動し始めたら。さぞ"都市の空気は自由にする-Stadtluft macht frei."ことでしょう!

  16世紀ルネサンス晩期、教皇の玉座ローマを花の臺(うてな)のように擁するイタリアが、サンピエトロの御聖堂(おみどう)に響き渡る爛熟のポリフォニー音楽の惰眠をむさぼっていた頃。同時進行で、北端の商業自治都市ヴェネツィアにて、革命的に新鮮な"いびつな真珠 barocco"が隆盛し、初期バロックとなるモンテヴェルディらヴェネツィア楽派が、閉塞したポリフォニックな教会音楽の腐乱の息の根を止めた...、ふうに、私には映ります。都市の空気が新風を吹き込んだことでしょう。

  ヨハン・セバスチャン・バッハが20歳のときに、いなかの教会オルガニストの職の4週間の休暇という制約を、傲慢にもまるで無視して、勝手に16週間かけて、400kmの道のりをあるいて、北ドイツハンザ同盟の都市リューベックに、ブクステフーデのオルガンを聞きに行ったのも、閉塞からの深呼吸、都市の空気のなせるわざでしょうか。

  その大バッハ晩年のブランデンブルク協奏曲は、いわゆる「バロック音楽」晩期の完成様式で、もはや"いびつな真珠"どころか、バロック音楽のすべてのエッセンスを凝縮する大粒の円満な調和を象徴しているのではないでしょうか。とはいえ、今でも、鳥肌が立つような斬新な演奏の新譜が登場する楽しい源泉でもあります。

  この、偉大過ぎる父ヨハン・セバスチャンの、第2子カール・フィリップ・エマヌエル(C.P.E.)・バッハは、大バッハ20人の子の誰よりも父の価値観や様式に忠実なようです。

  職も、プロイセンのフリートリヒ大王の宮廷に鍵盤奏者として奉職し、父大バッハとフリートリヒ大王を引き会わせています("音楽の捧げもの(BWV1079)"のきっかけ)。

 トップ画像のアルバム・アートは、下↓の、メンツェル(Menzel)の絵画の、部分です。フルート奏者はフリートリヒ大王、鍵盤はC. P. E. バッハ、右端はフルート教師で大王の音楽の師のクヴァンツ、ヴァイオリン奏者の2人はベンダ兄弟のはず...。ベルリン、ポツダムのサン・スーシ(sans souci)宮殿にて、啓蒙君主を取り巻く錚々たる音楽家メンバーでのコンサートの華やかさに、惹かれずにはいられません。


 目を奪われるような絵画の美しさは、燭台とシャンデリアの光の美しい描写によるものではないでしょうか。ドイツのレアリスムス派を象徴するタッチで、ほぼ同時代のロマン派フリートリヒ(C.D.Friedrich)の息を呑むような幻想世界と並びます。いずれにしても、フランス印象派の勃興がもう目の前に迫っています。

 で、言いたいのが、モンテヴェルディ、若き大バッハと同様に、このC. P. E. バッハも、父の宗教的・音楽的価値観への共感と重圧、偉大な啓蒙君主のパトロンながら専制君主たるフリートリヒ大王の重圧から、まさに逃れ、期せずして父と類似した、かのハンザ同盟の自由都市の、ハンブルクに新天地を求めて、30年奉職したポツダムの宮殿を後にします。新鮮な空気を深呼吸したかったにちがいないです。

 自由な自治都市ハンブルクにて書いたこの交響曲(作品番号;Wq182の6曲)の、アっと驚くような書法。

 私がこのCDを思わず手にしたのは1980年代の大学生時代。80年代に隆盛をきわめていたイギリス古楽器集団のうちのピノックの演奏、アルバムアートの斬新さ、「大バッハの息子」というエピゴーネンの器楽による調和的世界、などといった期待感と先入観の後押しによるものでした。

 弦楽器と通奏低音(チェンバロ)だけで、管楽器も打楽器もない「シンフォニア」と称する3楽章形式の曲が6曲。まぁ軽い曲かな、と。

 がっ!...一聴して、その和声構造の、現代アートのような破壊的な意外さに、えぇっ!?と。もう、崩壊しています...。大バッハの円満な調和も打ち砕かれ、ぶち壊されました。

 2番の1楽章を見ましょう。


 突如ユニゾンで、轟音を立ててガラガラと構造物が崩壊します(枠)、と、八分休符とスタッカートで息の根が止まった!(枠)、かと思いきや、スグ立ち直り...(ここまでたった1小節)、スタッカートの低音リズムに突き動かされて16分四連で歩み始めたヴァイオリン(Vn)が、一音ごとに、異常な転調を繰り返し、完全に制御を失っています...。(枠)

 二段目1stVnが、突如止まり、トリルで痙攣し、また止まり、より強いトリルで痙攣し、を繰り返します(trp, mf, f の強弱記号が...)。(枠)

「バロック音楽」が爛熟し破綻した今。ハイドンはまだエステルハージ家の抑圧下にあって、モーツァルトはまだザルツブルク司教の抑圧下にあって、ヴィーン古典派はまだ芽生えておらず、音楽は、もっと自由な空気を求めて破裂するための突破孔を求めていた時期ではないでしょうか。

 C. P. E. バッハのこのWq.182の6曲は、まさに、破裂しています。

 "多感様式 Empfindsamer Stil" などと呼ばれる彼の音楽。かつての価値観に安らぎなど求めない、内に秘める激しい心の動き。この作品を貫いて、音型には、異常に激しい跳躍、踏み外したような思いがけない転調、突如の休止と窒息、直後に激流の破裂と、聴く者を、急峻な岩場をほとばしる白濁した急流に力いっぱい投げ込むようです。

 史上、すぐ続いて、ハイドン、モーツァルトの"疾風怒濤期 (Sturm und Drang Zeit)"が押し寄せます。

「よ、よし、今日は聴くぞ」と決意して手を伸ばすCDは、いくつかありますが、この、たった数分の楽章構成をもつにすぎないこの1枚も、それにあたります。「うはっ!すごいな」と、つい、このピノック/イングリッシュコンサートの演奏の爽快感から、独り言をうなってしまいます。

 音楽史上、様式の過渡期にあたる上に、"大バッハの子"という陰の存在ゆえに、「独自性」「自分」といったものを声高に主張しない存在のような気がするのですが、自分のなかでは、異様な存在感があり続けています。

 ポッと明かりがついたり、フッと暗闇に戻ったり、しかし、中をよく見ると、奥底に、煌々と灼熱の熾(おき)を秘めている、消せども消えぬ炭火の熾のような存在が、このC. P. E. バッハのWq.182です。