2024/03/12

■ あるく - 巖鬼山神社


 巖鬼山神社へ。何年ぶりかで歯科医にて診察の帰途。

 冷たいみぞれの降る冬空。雪は消えつつあるものの、なかなか春にならない3月中旬です。

 手水舎にて、手と口を浄めさせてもらい、参拝したのち、改めて手水舎にて口を漱ぎ、湧き水を飲ませてもらいました。寒さに震えましたが、スッキリ醒めました。

2024/03/11

■ まなぶ – 睡眠相 -2


昨日の続きです。東工大の入試問題英語2015年第1問目を要約しています。

 中世ヨーロッパでは、農民にとっても町人にとっても、日没後の夜は、今日こそ生命を失うかもしれない恐怖の時間帯でした。暗闇に乗じて、犯罪、火災、そして、感染症などの疾病や鬱や癲癇のような精神疾患も含めた悪霊や悪魔のような超自然も、彼らにとっては等しく実在で、いずれも夜に襲いかかります。

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夜についての手がかりを探すために古い羊皮紙をめくりながら研究をしていたとき、何かが彼を困惑させた。 彼は睡眠に関する奇妙な言及にずっと気づいていた。

たとえば、『カンタベリー物語』(14世紀のイ
ングランドの説話集)「スクワイアの話」の登場人物の 1 人が、「最初の睡眠」のあと早朝に目が覚め、その後ベッドに戻る。15 世紀の医学書では、「最初の睡眠」は右側で過ごし、その後は左側で横になるよう、読者に指示している。あるイギリス人学者は、「最初の睡眠」と「二番目の睡眠」の間の時間が真剣な勉強に最適な時間であると記している。

こういった2 つの異なるタイプの睡眠についての言及が何度も出てきた。 ついにイーカーチ(筆者)はもはや手がかりを無視できなかった。 睡眠とは、常に 1 つの長いブロックで構成されるわけではないのだと気づいた。毎晩、人々は日が沈むとすぐに眠りにつき、真夜中まで眠る。これが昔話に何度も出てくる「第1の睡眠」。 人は一度目が覚めると、数時間起き、その後、朝まで眠りに戻る。いわゆる「第2の睡眠」だ。

 2 つの睡眠期間の間に目が覚めるのが、通常の夜の構成だった。この時間は、必要に応じて、祈り、書を読み、夢について考える、バスルームを使うなどの活動に費やされただろう。

イーカーチには、今日の私たちの睡眠方法が祖先の睡眠方法とまるで異なるという証拠の山を得ていた。

一方、約300マイル離れたところでは、ある精神科医が、研究実験中に奇妙なことに気づいていた。

  _ メリーランド州の米国国立精神衛生研究所で働いていたトーマス・ヴェーアは、私たちが毎日目にする人工の光が私たちの睡眠習慣に影響を与えているのではないかと疑問に思い、簡単な実験を設定した。人々を人工光から遠ざけ、何が起こるかを観察するというものだ。 彼は、これによって、以前の世代の人類にとって正常だった明かりの状態が再現されることを期待していた。

  _ 電球も街灯もTVもないので、彼の実験の被験者らは、当初、夜は寝るだけだった。 彼らは実験の最初の数週間を、夜遅くまで外に出たり早朝に仕事に就いたりして失った睡眠を、すべて補った。この数週間で、人生における他の時期よりもずっと十分な休養を得られたかもしれない。

 _ このときだった、実験が奇妙な転換点を迎えたのは。まもなく、被験者らは、深夜すぎに覚醒するようになった。1時間程度目覚めた状態でベッドに横たわり、それからまた眠りに落ちた。それはイーカーチが歴史記録の中で発見していたのと同じ種類の2相睡眠だった。 人工光から遠ざけられている間、被験者は生涯にわたって形成してきた1ブロック単位の睡眠習慣を忘れていった。 ヴェーアが研究結果を発表してから間もなく、イーカーチは連絡を取り、彼自身の研究で明らかになった内容を伝えた。

ヴェーアはすぐに重ねて調査することにした。 再び彼は被験者を人工光から遮断した。 しかし今回は、夜中に彼らの血液の一部を採取した。 最初の睡眠と二番目の睡眠の間の時間には何か重要な意味があったのだろうか、それともただ、中世の農民が起きてトイレに行く機会だったのだろうか?

その結果、人間がかつて夜中に起きて過ごした時間は、おそらく人生の中で最もリラックスできる時間帯だったことが分かった。

化学的に見ると、被験者のからだは、ちょうど温泉保養地で休息して一日過ごしたかのようだった。 2つの睡眠の間に、彼らの脳はストレスを軽減するホルモンであるプロラクチンを過剰に分泌していた。 ヴェーアの研究によると、両睡眠の間の時間帯は、瞑想しているときのように感じられるようだ。

他の多くの研究でも示すところでは、睡眠をほぼ等分割することは、私たちの体にその機会を与えれば、そう行う、と示している。 人工の光が一切存在しない世界の地域では、人々は今でもこのように眠っている。

_  1960年代半ば、ナイジェリア中央部のティヴ文化を研究していた人類学者は、部族のメンバーが2つの時間に分けて眠っているだけでなく、「第1睡眠」と「第2睡眠」というほぼ同じ名前を使っていることを発見した。

_  現代の睡眠習慣が、我々の本質に組み込まれたものとは異なると知ると、それは大問題だと思うことだろう。深夜に起きるだなんて、なにか良からぬことの顕れだと人々は見なすのだ。

_  なぜ人類は、何百万年も続いてきた方法とは逆の方法で眠っているのだろうか?  それは、たった1つの製品のせいだ。かつては革命的だったが、今では2ドルもせずに購入できるもの、つまり電球だ。

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 入試問題の要約は、このくらいにしておきましょう。以上で本文の約3分の2程度の分量です。この後、20世紀に入って人類社会の至るところが人工照明の海に呑まれ、人類のサーカディアンリズムや鳥の渡りなど生態系を崩壊させた話が展開されます。

 夕方すぐ眠ってしまい、0時前後に起き出し、明け方また少し眠るという、私個人の「反社会的なのでは?」「自然選択説上、淘汰される個体では?(←ダーウィン理論への誤解(;^^A)」との後ろめたい経験は、人工照明以前の古代人の習性「2相睡眠」だったのか...。でも、カトリックのベネディクト修道会(2023-10-9)初め、6世紀以来成立した多くの修道会が、今日でも、マタン(朝課;その日最初の祈り)を午前1時〜3時頃に開始する理由も、ニッポンの学校の運動部活みたいな「気合」「精神力」で起床するというよりむしろ自然なサーカディアンリズムだったのかと納得がいきます。

対して、現代人の「22:00-6:00まで8時間眠る」という「健康的な」「単相睡眠」は、疲れて眠りにつき、起た瞬間いきなりアドレナリン全開で世間さまのストレスの荒波に挑みかかる必要があり、まるでスペンサーの最適者生存理論が展開される恐怖感が...。

■ で、最初からこの種の闘争には敗者の私は、疲労して帰宅、すぐ眠る、気力充満してスッキリ覚醒するのが夜半頃、シャワーで温冷浴をしてからアタマを使う作業をたっぷり楽しむ、夜明け頃までまた眠る...。

 このサイクルだと、アタマを使う作業は、自分だけの楽しみに没頭できる、同時に、「疲れたらまた眠ればいい(嬉!」というこころのくつろぎが非常に大きく、じっくり浸れると気づきました。上述のプロラクチン分泌機序ですネ。

 このときの照明は、ろうそくのように、部屋全体の照明は5Wの電球色LED 2個だけで、デスクライトは光量をしぼったLEDライトです。そうすると第2の睡眠の入眠もスムーズで深く、短くてすみます。

  昨年からこんな生活に後ろめたさを感じなくなりました。健康や寿命にはどうなのかな。もう少し試してみたいと思います。

2024/03/10

■ まなぶ - 睡眠相 -1


 「夕方に就寝」して、0時か1時に起きます(🔗2023/10/9)。日が長い春-夏-秋でも、19時くらいにはもう起きていられないです。深夜に起きて、温冷浴をしてから、読んだり書いたり聴いたりして、何ら収入的に一文の得にもならない時間をこころ楽しく過ごします。実は明け方が近づくと、また眠くなります。がんばって起きていることと、つい40分とか90分とか居眠りすることが、半々...。「二度寝するだなんておバカだなぁ。夜中起きたりしないで、ちゃんと朝までぐっすり眠ればいいのに」と自分でも年来うしろめたい思いがしていたのですが...。

 温冷浴は、1987年頃、寝たきり病人をしていたのですが、ある大学の医学部のDr.森山先生という方から個人的に勧められて、命を助けてもらい、全く新しい人生を歩み始めることができました。最初うかがったときは、病人に、真水とお湯を交互に次々と浴びてみては、だなんて、正気の沙汰とは思えないお話でした。命のご恩返しもできないまま...。でも生きながらえることができています。

 深夜に起きるのは、高校時代以来の悪いクセがずっと続いているようで、罪悪感。下校帰宅すると眠くて寝ちゃう...。起きてお勉強(してるのかしてないのか...)。明け方は眠くて、また寝ちゃったり、明け方フラフラになりながら大学や仕事に通ったことがしばしば。ですが、こんな無駄な人生を送ってしまった後、だいぶ最近の2016年頃に、驚くべき発見をしました;

 ただの「読書」の対象に、大学入試の英文を読んでいたら、2015年の東工大前期入試に、「中世ヨーロッパの村人にとって、夜のとばりが降りる兆しは、極めて恐るべきもので、今日の私達には想像もつかないほどだ」で始まる英文が...。別にショッキングでも何でもない始まりだったのですが、そのまま読み続けてみました。

 今日は、そのごくごく最初の部分を、拙訳意訳にて要約すると;

中世ヨーロッパの村人にとって、夜は、今では想像できないほど恐ろしいものだった。日没の気配をちらりとでも感じると、農民たちは夜に施錠される前に、競うように都市の城壁の中に入ろうした。 手際よくなかった者は、強盗、オオカミ、隅々に潜む幽霊や悪魔を避けながら、(門を閉じられた城外の)荒野の暗い時間を一人で生き延びなければならなかった。

都市だってそう安全ではない。 もしあなたが夜の路上にいようものなら、出会う者は皆あなたに対して、奪うか殺すかいずれかだと思う方がまともだ。

日没後は、バージニア工科大学の歴史家ロジャー・イーカーチによると、恐怖が最も大きく、気性が最も短く、視力が最も弱まると、あらゆる種類の衝突が容易に起こった。 夜の歴史に関する研究によると、使用人が脇の下を刺し合ったり、商人がロンドンの路上で隣人と剣で戦いを始めたりする話などが見い出された。こういった話すべては、日没後の生活ではごくありふれたことだ。

他方、中世ヨーロッパの夜の時間には、独自の文化があった。 日中は誇りを持って自活していた町の民は、暗闇の夜になると門限に従い、文字通り家に閉じこもった。 星から時間と方向を知った。家にある明かりはといえば、(獣脂製の)悪臭と煙にいぶされる暗い蝋燭だけだ。

イーカーチが、それでも、1980 年代から 1990 年代にかけて、夜に関する手がかりを探すために古い羊皮紙をめくりながら研究をしていた際、彼を困惑させる何かがある...。 彼は、睡眠に関して、奇妙な言及に、ずっと気づかされ続けた。

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 ひとまずココまでにします。入試問題本文は15,000語ほどに及びます。上はその10分の1くらいの1500語程度をまとめたものです。とはいえ「明日は残り全部和訳」なんてつもりはナイです。和訳は同じ程度にします。

  この入試問題を全部読んでからの話ではありますが、後からワカったのですが、この歴史家Ekirchの読みは、翻訳本が2015年に出版されていましたので、そのとおり表記します。この研究者の本を買いたくなり、英文では私には手強くてムリそうなので、翻訳を探すと、500ページにおよぶ厚い翻訳本でした。書店で立ち読みして、うんざり...。

  その話と、肝心の睡眠の話は、また明日(;^^w