■ ハイドンの交響曲は、通算番号付きは104曲。番号ナシの交響曲もさらにあります。最初から最後まで全部いちいち聴いている人が果たしているのかというと…、す、すみません、もう何十回となく、104曲余りを通して、いろんな演奏で聴きました。
■ 「この曲は不要」「飛ばして次の曲」とは、不思議なことにハイドンの場合は、ならず、曲が最初の一音でも始まれば、安心して身をまかせます。彼の音楽に一本貫かれているのは、鷹揚で思いやりに満ちユーモアを忘れない彼自身の人柄のすばらしさです。
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■ だれにでも、悲しみも怒りも通り越して、つらすぎるとき・死んでしまいたいとき、などの経験があるでしょう。今から考えると、または他人から見ると、そう大したことじゃなかったりするのですが、その時点では本気でもがき苦しんだ時って、きっとあります。そのとき、ことばよりもっと親しく話しかけてくれるのが音楽、という経験をした人もきっと多いでしょう。
■ ベートーヴェンの後期ピアノソナタや後期弦楽四重奏曲、ブラームスやシューマンのような後期ロマン派の交響曲ならば、これを真正面から受け止め、命を懸けて正面突破をはかるものかもしれません。
■ ハイドンは? いつでも、渦中で熱くなったりせず、遠くで微笑んでいる存在。 「あれがなくちゃ生きていけない」「これがなくちゃ死んでしまう」というわがままとはちがって、「これだけで、これさえあれば、自分はきっと生きていける!」と思わせる、心の底に最後にほんのり光る希望の光があります。苦しいときは微笑み、楽しい時は大笑いしてくれる。「パパ・ハイドン」の愛称は、そういう意味だと思います。
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■ 2011年3月、生涯忘れようのない東日本大震災。その年末の12月、音楽評論雑誌「レコード芸術2012年1月号」で、毎年恒例の「レコードアカデミー賞」が選び出されました。(音楽の友社刊;今年2023年をもって休刊)
■ この賞は、その年に出た全てのクラシックCD・LPからすぐれたものを部門別に(「交響曲」「管弦楽曲」「室内楽」「器楽」「声楽」など)1タイトル選ぶもの。さらにその選ばれた15部門のうちで最もすぐれた1タイトルを「レコードアカデミー大賞」とする。選考委員は、同誌で毎月の評論(月評)を担当した30名程度の音楽評論家。クラシック音楽界の演奏・評論のいわば世界的頂点とでも言うのですか。
■ 評論家諸氏が白熱した議論を重ね、絞りに絞った15タイトルから、さらに1タイトルのみ「大賞」に絞る過程は、毎年壮絶な議論が展開されるようで、音楽関係者から私のような末端の個人に至るまで楽しみにしていました。
■ 2011年第49回レコードアカデミー大賞は、ハイドンの交響曲93~104番(通称「ロンドンセット」)。ミンコフスキ指揮ルーブル宮廷音楽隊(Minkowski; Les musiciens du Louvre)。
■ 選定委員長諸石幸生の総評:『2011年の日本は、自然の脅威を前にして、なす術を持ち合わせず、ただ立ちすくむしかない、そんな未曾有の大惨事に覆われた。数々の悲劇、惨状の中で、音楽に携わる者として何が可能なのか…。』『1枚のレコードは、美しさだけでなく、精神的な安らぎ、さらには生きる勇気といったものすら与えるという強さを持っている…。』
■ 美山良夫の個人評:『3月11日の災厄、世界的経済危機のなかで、こうした演奏を手もとにおける幸福を深くかみしめることができた。』
■ この受賞に対して、演奏者ミンコフスキ本人が「レコード芸術誌」に寄せたメッセージ:『離れたところに住む友人たちへ: …私たちが示したいと考えていたのは、ハイドンが厳しくて頭の固い「パパ」なのではなくて、オリジナリティあふれる、汲めど尽きせぬ、ユーモアと人間愛に満ちた創造者であるという真実なのです…』
■ この年に、ハイドンを選んだ日本の評論家諸氏。これに長文の手紙を寄こしたマルク・ミンコフスキー。...芸術作品を時世の事件と関連付けることに議論はあれど、今は素直に、音楽界の善意と良識に敬意を表したいと思いました。
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■ ハイドン晩年の交響曲セット「ロンドンセット」の中に、『驚愕』というあだ名がついた第94番があります。自分の演奏会で眠ってしまう上流階級のご婦人がたにここいらで目を覚ましてもらいたいと思ったハイドンの素敵なユーモアがある箇所。静か~な緩徐楽章がどんどん小さな安らかな音になり、で、突如金管楽器を含むフルオーケストラで大音量の強打。中学校の音楽で聴いたことがある方も多いでしょう。
■ さて、ミンコフスキの『驚愕』は!?...実に簡単、が、あまりにも意表をついた演奏!教えたいけど教えるわけにはいかないので、ぜひ聴いてみてください。