■ "まなぶ"というタイトルよりむしろ、"読む"話、しかも「吉田秀和って誰?」というあなたに意味不明な話なんですが。
■ 吉田秀和『LP300選』は、愛読書です。タイトルも時代遅れなら、推薦盤もLP初期から中期のもの。画像はすっかり変色し切った新潮文庫昭和59年版ですが、これ、大学生の時に"買い直した"2冊目です。いまだによく手に取ります。知り尽くしたフレーズですが、ときおり眺め、感銘をあらたにしたり反発したり...。
■ さて、そんな箇所はいちいちたくさんあるのですが、今日は、シューマンの記述の前半。
■ "300選"を作曲家ごとに選ぶこの"選集"のうち、1割近い29点はモーツァルト、ついで22点がバッハ。これはごもっとも。
■ 笑ってはいけないが笑ってしまうのが、"ショパンは(たったの)2点"。
■ うち1点は『マズルカ』。これは何百回か読みなおし聴きなおし、歳月を経てからやっと、実感できるようになりました。
■ "私の三〇〇選には、以上の二種目で我慢してほしい。偏見と承知しての話である。そうして、私は、とかく「ショパンは、天才的素人作曲家である」というルネ・レイボヴィッツの言葉に共感したくなるのである。"
■ ...吉田のスタンスに共感と納得を得ます。
■ "この私が、シューマン(Robert Schumann 1810-56)には、少しあまい。これも偏見だろう。"
■ と言って、ショパンの時と同様、次々とピアノ曲を俯瞰し、さて、けっきょくどれを選ぼうかという段になって、"『交響的練習曲』は天才的な作品だと思うが、フィナーレがなんとしても長すぎる。あの反復はたまらない。"と、選から捨てます。
■ 大学生の時以来、コレはムっとした箇所でした。
■ 「評論家大先生はいいよなぁ、シューマンの大作をも"反復がたまらん、長い、うるさい(?)"といって、ポイだもんなぁ」と、大学時代同好の士だった友人らと軽口をたたき合ったものです。
■ 血気盛んな若者(?)なら、あの頃にリリースされた若き日のポリーニ(DG)盤を聴くと、拳を握りつつ感動したのですが、それは多少引き潮気味だとしても、今でも思いは同じです。
■ 自分の好みに合う文章かそうでない意見かを、吉田にぶつけつつ気にしつつ読んでいたあの頃。
■ いま、考えてみると、吉田秀和の、白水社の全集も新潮の文庫本も、手に入る限りかき集めて読んできたわけなんですが、読み方はちがうと気づきます。
■ ショパンとちがって、シューマンには、歌集も室内楽も管弦楽も多いので、ピアノ独奏曲は、グッとこらえて『クライスレリアーナ』『幻想曲』だけに絞りに絞ったようですが、そこに至るまでに、存分に吉田の、シューマン・ピアノ曲の位置づけを読んで楽しむスタンスを取るようになりました。しぼるのにずいぶん苦しんでいるはずのところ、選に漏れたものをも、記述の中で上手にそれぞれ位置づけ、きれいにしまいこんでいて、数年後数十年後の今になってすぐに、整理整頓されてしまわれてしまった棚から、自分で取り出して聴けばいいだけ、にしておいてくれていたんですねぇ...。