2024/10/18

■ あるく ■ 野営 - 岩手岩洞湖


野営。岩手盛岡北東部の「岩洞湖」にて。

ここ盛岡市薮川は、岩洞湖が氷上ワカサギ釣りで有名な通り、実は本州イチ寒いスポットです。

岩洞湖のここ無料キャンプエリアは、今月末で今期終了なので、終了前に、またあの白樺の森に座って、その空気感を味わい、底なしの深々とした静寂にひたり、考えごとをして、眠って、帰ることにしましょう。

片道5時間な上、4,5kmほどの未舗装林道の奥にあるので、行くには決意が必要です。

いつもの海の断崖絶壁の高野崎キャンプ場と異なり、「森のキャンプ場」などというロケーションは、初夏から盛夏の時期は多様な虫が...。そう考えると、野営に適するのは、雪解け後にキャンプ場が開く月の5月か、冬前にキャンプ場が閉じる月の10月の、実はたった2か月のみです。

気象予報を毎朝眺めて、「晴れ」「風力ゼロ」「月齢3~22」、つまり、朔や晦(つごもり)などの新月以外の「静かな月夜」を、ずっとずっと探してきましたが、10月中旬のある日、予報では、午後から快晴、風力0。月齢13。条件がそろいました。

午前中は東北地方は雨、昼から晴れて風も止んでくるようです。雨の中、ロードスターで出発。

弘前から県境坂梨峠、鹿角、安代、八幡平、安比高原レインボーライン、岩手山パノラマラインと通過。雨は上がり薄い日差し。のどかで暖かく、岩手のスケールの大きい伸びやかな道をオープンカーで抜ける楽しさをじっくりかみしめます。

西根から姫神山を越えて、未舗装林道をのろのろと進んで到着。14:30。晴れ。気温20℃。

管理棟は無人。管理人さんは作業で不在との表示。利用申請用紙に記入してカウンタに置きました。

ほんとうにハッとするようなすばらしい白樺の森。いつも行き届いた手入れに感謝します。

テントを設営して、コットを組んで、簡単な昼食兼夕食を調理。もう日が傾いています。

時期的に、この時期に快晴で昼の気温20℃なら、夜はよほど冷えるでしょう。かなり露も降りそうです。

日がある間は、座って白樺林を、飽きもせずに眺めます。1時間、2時間...。

「キャンプで焚き火」の趣味は無いです。新しいキャンプツールやアイテムを試したり披露する趣味も無いです。焼肉だバーベQだ宴会だ、は、論外。

無人の広大な白樺林に一人静かに座っていられる状況に、こころから感謝。

「フィンラガン」(スコッチ)を持参したので、ほんの半ショット(15ml)ほど。チェイサーには、いつものように、出発前に自宅で鉄瓶で沸かしたお湯。熱くておいしいです。


18:00。日没後の薄明(はくめい)もついに途絶えましたが、東の白樺の梢に、月齢13の小望の薄明りが上がっています。霧がたちこめてきましたか、もう。

暗闇と霧と寒さの中、なお座って、あれこれ考えます。霧にかすむ月明かりが、たいへん明るく、ヒトが持ち込んだ明かりは不要です。

深い静寂と闇。霞がかった月明かり。たまに聞こえるのが、大きな音では、鹿の鳴き声。夏は涼し気ですが寒い夜は不気味なトラツグミ(鵺)。それらに比べれば親し気な静かなフクロウの声。いずれも、ふだん聴くことはまったくない音です。

月明かりのなかで、鹿や鵺の、静寂を破る音に、古代のヒトは恐怖を感じたのではないでしょうか。

岩手に来ると、宮沢賢治、柳田國男、石川啄木などを読んだ記憶がつきまといます。

冷涼で乾燥した高地が広大に展開している北上高地。初夏に吹き付ける親潮オホーツク海由来の寒冷湿潤なヤマセ。

この地で、平安最初期以来の朝廷から江戸幕府にいたるまで、熱帯由来のコメの栽培と供出をヤマト民族に強制されてきたイワテの人々...。

江戸時代の重なる大飢饉で、本当に悲惨な歴史が形成してきた陰惨な習俗…。この抑圧をそのまま被った純粋さといびつさの石川啄木、口にしてはならないはずの岩手を語ってしまった柳田國男。

"國内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ"。たしかに、わが津軽にだって、戦慄すべき伝承は幾多存在します。が、他方、山深い岩手の地に、テントという布一枚の無防備な野営に独り、身を置き、岩手の深い森を延々と細く貫く道を、幌を開けた無防備なロードスターでそろりそろりと走るたびに、畏怖すべき柳田の伝承の数々が脳裏を巡ります。

他方で、同様な気候風土をもつフランス大陸北西岸、イングランド南西岸、ウェールズ、スコットランド、南北ニュージーランド島のように、もしも、ここ岩手も、牛・羊の酪農・肉・羊毛、また三圃式や四圃式農業による養鶏養豚と小麦・大麦・ライ麦・葡萄などの果樹栽培といった伝統を形成していたならば、さぞ世界的に大成功した農業地帯となっていたであろうに、平安初期以来の千数百年の歴史にわたり、異質な温暖湿潤気候のヤマト民族に隷属服従させられ、無駄に稲作に固執したせいで...。

おそらくそう気づきかけていたであろう宮沢賢治の、身もだえするような歯がゆさと未来への幻想。

彼の作品の登場人物名や地名がことごとく、ゲルマン語系やスラブ語系の音であることからも、中部ヨーロッパ以北の気候風土のシノニムとしてイワテの気候風土を見、イワテに歩んでほしい希望的将来を儚くも夢想しているような気がします。

などと、とりとめのない空想が、イワテに対する独自の歴史観に支配されるようになってしまったので、もう今日は18:00過ぎに就寝...。

落ちていく意識...。ときおり耳底に響く、鹿の鳴き声、渡りの白鳥の大集団の声。寒いです。夢でうなされます。自分の眠るテントを囲んで、妖怪や怪奇現象が繰り広げられている幻覚。ムソルグスキーの「禿山の一夜」状態でしょうか...。

0:00に目が覚めたのですが、寒いです。空腹です。ダウンを重ねて羽織って湿ったシュラフにまた横になり、1,2時間ほど、Jörg Demusのシューマンピアノ曲全集を聴いていたのですが、またいつの間にか眠りに落ちます。

また寒くて覚醒。5時前。気温は3℃ですが、真冬装備でもやっぱり薮川は寒かった...。雨がざぁ~ッと降っている音です、が、テントには雨だれを感じません? 夜明け前の薄明を感じますので、もう起床しましょう。

濃霧。テントを一歩出ただけでびしょ濡れです。雨は降っていないのですが、白樺の木々からいっせいにしたたる露のせいでそう聞こえます。霧のなかにたたずんで、周りは雨ざぁざぁの音。不思議です。天気予報では、眠っていた湿っぽい夜中もこの朝もずっと快晴。ただ、盛岡周辺に濃霧注意報。


背筋や腕脚を伸ばし、玄米を研ぎ、顔を洗い、お湯を沸かします。水は、そりゃ冷たいのですが、夏じゃないので、ほんのり温かく感じます。これから冬にかけてそんなふうに感じます。

東屋(あずまや)風のひと隅に露は降りていないので、そこにコットやシュラフを持ち込んで広げておきます。

日の出とともに、みるみる明るくなり、ぐんぐん霧が晴れ、妖怪たちは退散し(?)、木々はクッキリ緑や黄や紅色に、白樺の幹はさわやかな白に。温度計がどんどん上がります。お日さまが、あらゆる不安を何もかも払いました。


朝食をたっぷり摂り、テントは時間をかけて拭き、自然乾燥にまかせます。気持ちが晴れ晴れと高揚します。

起きた朝5:00には、薄明のなか濡れたまま撤収して明け方の空いた道路でさっさと帰途に就こうかと悲惨なことを考えました。考え直して、いま、しばらくチェアに座り、すっかり暖かくなりカラリと乾燥した空気と落ち葉の中で、またゆっくり白樺の林を眺めます。シューズはびしょ濡れですが、日が差して気温が上がると、何か大きな希望がわくものですね。

さわやかな空気の中、ぼちぼちと撤収作業をし、白樺の林の中に座り、思いついたことを書き出したり、地図を見たり、ナッツをほおばり、ゆっくり白湯を飲み...。

■ と、もう昼が近いです。今日はこれから、おおいにまわり道をして、かねてより望んでいた、龍泉洞から深い森を延々と細く貫く岩手県道7号線を北上して太平洋岸の久慈に抜け、牧場地帯の二戸、田子を巡って、十和田湖に降り、八甲田山系に上がって酸ヶ湯温泉経由で帰ろう、などと、大胆なドライブの一日にすることにしました。

2024/10/13

■ なおす ■ PCキーボードの分解洗浄と売却


キーボードを清掃って、何度もしたこの話。これからは売却処分が前提で、最後のお別れにできるだけキレイに洗浄します。

今年の5月までは、自分で使い続けるためのメンテナンスが前提でしたので、分解清掃といっても、キートップ背面底部のホコリを払い、キートップを、消毒用アルコールやウェットウェスで1コ1コ拭き取る感じでした (🔗2024/05/31)。

手元のキーボード、東プレ-リアルフォースは、00年代初頭に発売され、ほぼ同時に購入し、その後購入を繰り返してきました。10年間ほどして、フルモデルチェンジされました。その際、それ以前のモデルはR1型、ニューモデルはR2型と区別され、より多機能になりました。

大いに触手が動いたのですが、その時点で自分では9台ほど購入していた(!)うえに、R2型は、多機能ゆえに附属CDからアプリケーションソフトウェアをインストールして使用する構造となり、PC自作派で好悪が分かれました。

自作時に、製作の各段階で、動作確認のために、最小限稼働構成が必要ですが、ソフトウェアに依存するキーボードは、OSのインストール前や起動前の動作に一抹の不安。キーボードという存在本来の単純性に陰りが感じられたので、私は、R2世代になって以降(現在はR3世代)、購入しないことにしました。

結果、手元にある9台のR1型をメンテナンスしてぎりぎりまで使おうと決めたのですが、どの個体も快調そのものです。

今回売却の個体は、R1世代晩期のサイレントタイプ91UBK-S (Model; NG01BS)です。

前回5/31とまったく同型ですが、別個体です。

もともとオペレータ用に開発されたリアルフォースシリーズ。タッチの良さは抜群です。加えて、サイレントタイプになり、ガチャガチャ感?がなく、底付きした際に、ゴムの反発力を感じます(実際にゴムが敷かれているワケじゃないです)。

しゃべるのと同じくらいの速さで文字入力するヘヴィユーザーに向いています。

清掃しましょう。

今回からは、人さまにお譲りするので、石油系ケミカルやエタノールは使わず、自然に、しかし徹底的に清掃します。


トップカバーとキーを外し、基盤の表裏はエアと刷毛で。

サイレントタイプはプランジャが鮮やかな紫色です。分解しなければふだんは全く見えないところにヴィヴィッドな色遣いをするとは...。自作派や自分でマメにメンテナンスするユーザーだけに向けたサービス精神に、メーカーのゆとりを感じます。


キーは、1コ1コを台所用中性洗剤に浸漬し、スポンジでそっと洗い、水道水で数回すすぎます。


のち、1コ1コを新しいタオルで拭きとり、数日間自然乾燥。


手持ちの同製品と見比べて気を遣ってていねいに組付けます。


組み上がり後は、PCに接続して動作を確認します。 ら、...MとNのキーが逆でした...。


中古品のヘタリやテカリを判断するポイントは、「Enter」「Space」キーです。この個体は、自分が持っているもののうちではもっとも遅い時期の購入ですので、使用痕はほとんどかんじられないと思います。


誰かの手元で、引き続き元気に活躍してくれることを祈って...。

2024/10/12

■ あるく ■ 野営 - 高野崎


10月中旬の野営。今別町の高野崎の断崖絶壁の無料キャンプエリアへ。

早朝から太陽フレアが爆発状態で、X線強度がX1.8クラス、太陽風(磁気波による粒子移動と地磁気擾乱)のnT値(ナノティーち)が10ランク中8と、年0~2回程度の高強度だそうです。

こんな地磁気擾乱はオーロラの原因現象で、10/11早朝は北海道で低緯度オーロラが観測されていました。

とはいえ、プロ・アマ問わず、専門家でなければ、私のような鈍い素人の肉眼では、水平線付近の赤みがかったハレーションにしか見えないタイプのオーロラです。

予想するに、自分の能力では水平線上の函館の街明かりとたぶん区別できないかなと...。特にオーロラは期待していませんでした。

でも、それよりも、高野崎の気象予報は、朝の段階で、日の入り17:30、18:00~翌3:00の天気は快晴、かつ、なんと風力0。満潮21時、波高潮位変化0.2m弱、月齢8.3(ということは上弦の月)...と、何年に一度もない好条件...。

いやまぁ、何の「好条件」かというと、「夜に、月あかりのみで、波のザザ~~ぁンという音を聴きつつ、アイラモルトやアイリッシュモルト(いずれもウィスキーのことです)をチビリとやる」ことが可能である状態を、「好条件」と言います...って、な、なんだそりゃ!

でもそのために、ここ何年か、冬も夏も、一年中、見るともなくつい毎朝早朝に、月齢や潮位や風速を眺めています。 

この日は、グッとこらえてやり過ごすつもりが、いてもたってもいられず、昼過ぎに、ロードスターにテントとイーリャハを積んで(後者は、スコッチウィスキーの銘柄の名前です)。

 もともと一年中風の強い高野崎や龍飛岬。だのに、この日は、予想を超えた、経験の無いほどの凪(なぎ)でした...。

静かに座って、三方海の断崖絶壁にて、静かな海の風情をしみじみとかみしめます。


黄昏れ少し前、観光客ふうのご夫婦が、波打ち際に近づこうと、崖の道を降りていこうとします。ジッと座っていた不審者風に見えるであろう私は、取り繕ったようにいちおう挨拶をします。快く返してくれました。

20分程度して、日の入り直前の夕焼け。もう足元が見づらくなった頃、崖下の波打ち際から上がってきました。「(崖下の)橋は渡れましたか? 満潮近いけど。」と声掛けをします。「ええ、ステキでした。」との返事。聞けば、広島から来て、東北を周遊する旅行中とのこと。明日以降は下北半島を回ると...。「すごい。いろいろと見られる大旅行ですね。」とうらやんだら、ご主人は「ココは本当にすばらしいところですね。来年またココに来て、あなたのように、椅子に座ってじっくりとひとときを過ごしたいです。」と、洒脱なお返事。ココをステキと思うあなた方がステキかもしれませんネ。

■ 強風の前日と打って変わって、凪の海岸(崖下)に、ゆるやかな波の音が、あちらでもこちらでも、ざ~ん、ざざ~んと、多重にそよいでいます...。

日没後の夕べ。ほどなく上弦の月は、はや南中を過ぎて西の空にさしかかります。

崖の上から見下ろす黒い海面に、月あかりが、ゆらゆらとそよいでいます...。

その調子で、真っ暗闇の断崖絶壁の上、月明かりのみで、磯の香りを楽しみつつ、イーリャハとチェイサーの白湯をチビリとやっていたところ、暗闇の中、若者が手ぶらで近づき、崖を降りようとあるいていきました。

気になって、「釣りですか?」と声掛けしたら、「いや、オーロラを見に。ココでダメなら、今から龍飛まで行きます」と...。してもらったお話が、たいへん詳しい天文・気象・地学的な解説で、その知識と情熱に舌を巻きました。

言われてみればたしかに、真北の方角に、乳白のハレーションが見えていました。水平線の向こうの函館の街明かりは、それとは別に北北東にあります。彼はその後磯から上がってこなかった(私は眠ってしまった)ので、おそらく研究者には興味深い事態となっていたのでしょう。

生涯でも印象に残る晩となる経験でした。

数日来、今季初の、鳥の渡り(白鳥飛来)の開始に気づいていましたが、この日は、眠りつつも、意識の底に、真っ暗な高野崎の海上の広大な空の穹窿に、白鳥の大集団が通過する声が、何度も何度も響いていました。

そうそう、ここ高野崎は、荒涼とした風の吹きつける突端の海岸地形ではありますが、9月末頃から、弘前大学の鳥類研究エリアとなったようで、研究者の皆さんが入れ替わり常駐しています。それ以前の半年程度は、「風力発電研究班」みたいな若者チームが、キャンプエリアの中心に「弘前大学」と表記したコーンを立てて立ち入り禁止にして、手作り風の「風車」を設置し、莫大な地響きの低周波と脳を破壊する高周波をまき散らしていました。素人の私にも「潮の風雨に晒すんだからベアリングを高頻度でグリスアップしろよ」と感じられるクリーキングノイズが進化した轟音。キャンプエリアでの夜の宴会ミーティングは高頻度でしていたようすですが...。15km離れたキャンプ禁止の龍飛岬の龍泊ライン鳥瞰台にも同じく風車とテントが。あれらには参った...。調査が終了したのか、風車は撤収され、静かな「鳥類調査チーム」に入れ替わったようで、安堵と感謝。

いずれにせよ、この日は、ほんとうに久々に、波の音と月明かりで、こころ静かに過ごせた夜となりました。

季節柄、気象条件的に、年内はもう、月夜の凪は、ないかもしれないです。気象条件がそろいそうな来年の初夏頃にまた良い体調で訪れることができますようにと、祈る思いです。