2024/06/18

■ きく - シベリウス - 交響曲第4番 イ短調 作品63


交響曲のシリーズは、どの作曲家も、独自の人格的な世界を形成しています。

 そのうちでもまた私にとって独特な存在がシベリウスです。

 私のとらえ方では、他の作曲家を思い、さて彼の交響曲に目を遣ったときの特異性は、1) 全7曲が1曲の交響曲のような連続性。2) ヒト、人間社会、社交性や社会性やヒトのつながり、などといった概念を、拒否とは言わないが無視しているかのような曲想...。ヒトが歩み入れない巨大な北極圏の自然というか、ヒトの存在を意に介さない巨大な自然のうごめきを感じるというか...、特有の心象的な世界...。この2点です。もちろん、他の人の理解をえられない、自分だけの感情の、裏付けのない語彙足らずな表現です。ごめんなさい。

 コレだという1曲を選ぶのはムリですが、うち、まったく理解してもらえそうもない部分を書いてみようかな...、って、だったら書くだけ無駄なのですが...。ま、ひとりごとです。

 4番が最も晦渋と言われます。が、今となっては私にとっては、親密で心地よい響きの1つです。

 世間様一般の「演奏会」などという華やかな場では全くウケない曲でしょう。わかりやすく稼げるウケ狙いのDG(グラモフォン)のバーンスタイン盤に、4番6番の録音が無いことでもすぐおわかりの通りです...って、す、すみません!! バーンスタインの、"ウルトラロマンティシズム(私の勝手な命名)"の全集も、やはりなくてはならないシリーズです。が、こと4番については、今は記憶の視野から外しておきます。

 いきなり1楽章冒頭が、Vc(チェロ)とコントラバスのみの強奏で(赤枠)、旋律を為すかなさないかのような混沌とした謎の動機。すぐ6小節目からソロのチェロで(黄色枠)、違和感ある陰鬱な主題...。目が点になって軽い恐怖に襲われるかもしれませんが、こころの深みに沈潜していくようで、ひとりしずかに向かい合う気持ちにひきずりこまれます。


 2&3楽章も言いたいことはあれど、今日は4楽章の一部を。

 4楽章の冒頭。突如えぐるような弦のみの深いユニゾンの (fp) の1音で打ち上げられた、1st Vnの上行音階。上に凸な放物線の頂点でデクレッシェンドして落下、2nd Vnが受けて下に凸な放物線の下端の頂点でまた上行、Vaがこれを受けてまた上に凸な穹窿...と、思わず呼吸を深く合わせてしまうように、聴く者は翻弄されて、これまた不思議な楽章にいきなり吸い込まれていきます。

 クラリネット奏者の良し悪しをあっさり判別し、世の多くの奏者を振るい落として捨て去るような音階。CDとして録音を世界にリリースしているようなレベルのオーケストラなら別に不安ではないのですが、4番4楽章を「演奏会」では絶対に聴きたくない恐怖感があります。


 低音楽器群のみの静かなさざ波に、ヴィオラのソロが冥界の旋律を奏でます...。

 同様に、静かで規則的なのに不安なこころのさざ波が続き、管楽器群が震えだし、弦楽器群の揺れがトレモロからグリッサンドへと大きく動き出します...。しばしばあの世の鐘が響くように、グロッケンシュピールが叩かれます。



 そのまま、古典的な調性音楽でなじんでいるような調和的な旋律やドラマ性など無しに、巨大な流れが破裂したり収束したりして、金管が消え、木管が息絶え、弦のみのテヌートで静かに絶えます...。

 おそらく、「演奏会」のプログラムにうっかり載せたりなんかしたら、聴衆は茫然としてそのまま終了となるでしょう。シベリウス存命中から今に至るまで、きっとそう...。ゆえにプログラムに載ることは無いでしょう。でも、作曲者には、自分以外に誰のことなども振り返り顧みる必要など無いような、強い内面のヴィジョンと意志が、あるような気がします。

 70年代コリン・デイヴィスの最初の全集、ボストン交響楽団盤が、少年時代のあの頃には手に汗を握って耳を傾けたLPでした。今CDで聴くと、LP時代より音像がクッキリしていますが、テンポはかなり速く、今となっては、もうちょっとじっくり聴き入りたい気がします。

 90年代に、スウェーデンBIS盤で、ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の4番のCDを購入。LPもCDも、マイクが近く、音の彫りが深く、ダイナミックレンジが広大で、しかもじっくりと聴き入ることのできるテンポです。今でも一番手が伸びる演奏です。

■ より新しい録音のBIS盤の、オスモ・ヴァレンスカ/ラハティ交響楽団盤は、90年代終わりの録音とはいえ、編成が小さく現代的なシャープな演奏で、北欧の氷のような冷たさを彷彿とさせる録音となっていて、これまた独自の存在感があります。

 4番に関しては、上の3者のうちの後2者が私にとって現時点で決定的です。

 でも、7曲の全集となったら、素晴らしい演奏がどっさりあって、しかもまだ聴いたことのない演奏もいくつもあり、既知の花畑と未知の沃野に、「シベリウスの交響曲」は、ずっと心が躍る存在であり続けていますし、毎日を生き生きと生きる希望でもあります。

2024/06/17

■ あるく - 仏ケ浦


 霊場恐山の「奥の院」である、奇岩ひしめく海岸の「仏ケ浦」に。かねてより訪れたいと思いつつも半世紀(!?)...。意を決して...って、大げさですか。

※ 仏ケ浦海上観光 Website

 クルマでアプローチするとして、降りて陸路を徒歩で海岸まで侵入するのは、相当な気合いが要ります。

※ このあたりから目のくらむような断崖の階段を歩いて降ります。帰りは...。

 国土地理院 GSI 地形図↓でご覧のように、高低差100m以上です。駐車場(P)マークは私が付しました。Pから降りて20分、帰りは急坂の登りを30分...。炎天下を30分もひたすら階段を登り続けるのは、恐山地獄巡り1万歩の後では無理かも...と怖気づきました。陸路はほかに絶無。

※ 国土地理院GSI Mapsより

 ガイド(案内人)として、遊覧船に頼ることにします。北側にある佐井村から沿岸を約20kmの航海。往復で90分です。知らない土地は、絶対にガイドが必要です。そのおかげで訪問の密度はケタ違いに上がります。え? 「大間マグロ丼」や「ウニ丼」? 何ですかソレ? 食べ物ですか? お金をかける値打ちは案内人であって、ごちそうではないです。ごはんはこの日の18時間を通じて、持参したライ麦パン1斤をつまみ水道水を飲むのみです。

 「恐山」の裏道の樹林帯を北西に抜けて薬研温泉渓谷を遡上し、歩道みたいに細い国道を西の佐井村の海岸まで降ります。クマ・サル・その他の四つ足獣を多数目撃します...クマって、見たら当局に通報すればいいんしょうか...? いずれにせよ、あなたには絶対に勧められない鬱蒼とした狭隘路です。自分としては快適な陽だまりの森林浴の道でした。

■ 佐井村を貫いて南北に海岸沿いに縫う山岳路を、国道338号線「海峡ライン」というのだそうですが、今回はその道を、本州北端の大間から、佐井、仏ケ浦、南端の脇野沢まで延々と60km続く険しくも絶景の山岳路を走るのが第一の目的でした。でも、佐井村から仏ケ浦を通り、さらに南下しようとしたら、最も険しい南半分が土砂崩落個所多発による年内通行止めでした。

※ Google Map (地名と交通情報は私が記入)

 予定を変えて、仏ケ浦の奇岩とこの世ならぬ海岸を、遊覧船と散策で堪能することにしました。

※ 船窓より

 往路と復路に各30分、仏ケ浦海岸散策時間が30分です。

※ 仏ケ浦海上観光 website

 神秘的な奇岩に、もうほんとうに圧倒されました。

 遊覧船の乗客は40名程度。比較的狭いエリアで30分。撮影している岩場は、スニーカーやゴム長では歩けないです。登山用のトレッキングシューズが必要です。多くの人は、船着き場のある画像奥側の砂浜エリアにとどまっていました。


 混んでいたかもしれないけれど、人影があればこそ、眺めていて奇岩の巨大さが現実感を持ちました。でも、次回来るならば、体調を整えて、断崖の上から歩いてアプローチしてみたいと思います。まるでひとりぼっちの海岸となる可能性が大いにありそうです。


名残惜しく振り返ります...待避帯で

2024/06/16

■ あるく - 霊場恐山


三途の川を渡り...


 地獄を巡り...


 不動明王にすがり...


 地獄の向こうに浄土の岸辺を見...


 彼岸にたどりつきました。


 おぉ、硫黄が単体で析出しています。極端な酸性湖の水の青...。非日常的な雰囲気に満ちています。


 霊場 - 恐山(おそれざん)は、本州北端の下北半島にあり、同じ青森県でも、私の住む津軽地方からは陸奥湾をはさんで向こう側です。むつ市まで昼にクルマで無理なく行くなら4時間程度でしょうか。同じ県なのに、高速道路を使って仙台に行くより遠いです。行ったことが一度もなかったのですが、年来かねてより伝え聞き関心も高まり、日の出も早まったこの時期に、思い立って朝2:00に出立しました。16時間のクルマと徒歩の一日でした。


 信心に悖る輩が、少しは内省的になろうかとも思ったのですが、語り継がれる「地獄」の様相に、どうしても上方落語や江戸落語の無駄な諸知識が介入してしまい、真摯に受け止めた改心の道行きにはならず...。温泉の腐卵臭(硫化水素臭)に満ち溢れた地獄のエリアにて、火山ガス噴出孔に昇華した硫黄結晶や白濁した硫黄コロイドに瞠目しつつ、酸欠を危惧しながら巡りさまよい、1万歩のウォーキングを達成...って、やっぱり不謹慎そのものですネ。罰が当たって地獄行きになるかもしれません...。