2023/08/30

■ まなぶ - 心の奥底を書き出す


心の奥底にある考えを、文字に書き表すのは、ためらいます。誰でもそうだと思います。

■ 美しいことから醜いことまで、うっかり書き出したら、自分で見て、または万が一自分以外の人に見られて、あらゆる羞恥や嫌悪が発生しそうです。

「モーニングノート」という、アメリカの作家による提唱が2001年頃にされて流行しているそうです。朝起きてすぐに、ノートに、上で述べたような自分の気持ちをありのままに書き出すのだそうです。それにより、自分の気持ちが整理でき、本来の自分を見出すことができるという効果があるそうです。

■ 私はやったことがありませんが、多少の文化の違いはあれ、効果がありそうで、惹かれますが、やはりためらっています。やってみようか、どうやればいいだろうか...などを、グーグル先生に聞いてみたら、賛否両論が激しくあって、答えは探しかねました。

■ とはいえ、私が80年代に8年間ほど、病室で天井蛍光灯を24時間眺めて暮らした際に、類似のことをしたような気がします(朝ではないが)。短期間でノートを見返すと、補足や削除もあって手直ししたりしましたが、長期を経てから見直すと...、内容や表現が目も当てられなかったり、自分はもう別なステージにいると気づいて、捨てようという気になりました。もしかして、何十年もあとで読み返すと、また別の価値があったかもしれません。いずれにせよ、書いてよかったかというと、書いているその瞬間は、心の慰めになったのは確かでした。短期間で読み返すと、「じゃあどうなればいい?」など自分に反論して考え始めます。その限りで、考えはある程度まとまる方向に向かうし、心の中に鬱積していく一方の苦悩は、破裂や崩壊を逃れた気もします。

■ 1994年の大学入試センター試験の英語(1994追試第5問)に、表題のような実験をした簡単な論説文が出題されたようです。以下に大意を訳してみます。

■ 『離婚とか家族の死といった大きな衝撃を受けた人々の多くが、大小さまざまな病気に対して弱くなるように見えるのはなぜでしょうか。

心理学者の共通した考えですが、人々はそのつらい経験を理解し受け入れることができれば、より効果的に、それに対処できるだろう、ということです。

実際、専門家の多くは、心の安定を乱すようなでき事に関して、考えや気持ちを表現することの価値を強調しているのです。

最近、ある医学研究者チームが、「心理的につらいでき事をあえて表現すること」と「長期にわたる健康」との関連について調査しました。

ある実験で、健康な大学生たちに、4日間、個人的に非常につらかったでき事か、または、ごくありふれた話題の、いずれかについて書くように求めました。

続く数カ月間、心の中で思ったことや感じたことを書いて吐露することを選んだ学生の方が、毎日のありふれた話題を書いた学生よりも、病気で健康センターを訪れる回数ははるかに少なかったのです。

その後の別な実験で、別のグループの健康な学生たちが、4日間文章を書く課題を与えられました。

中には、非常に個人的で気が動転するような経験(孤独、家族や友人に関する問題、死なども含む)を書くことを選んだ学生もいました。

その人たちは、その実験直後に質問された際には「気分は以前と比べて特に良くなってはいない」と言いました。しかし、実験の前後に採られた血液のサンプルを調べてみると、病気に対する抵抗力は強くなっていたことがわかったのです。つまり、バクテリアやウイルスを撃退する白血球が、これらの「侵入者」に対する反応性や感度を高めていたのでした。

この傾向は、その後6週間にわたって続きました。最も良い結果を示したのは、以前なら人に話すのを意識的に控えていたような事柄について書いた人たちだったのです。

研究者たちは、つらい経験に立ち向かっていかないことが、それ自身一種のストレスになり、病気になる可能性を増すのだと言っています。したがって、大きな衝撃に積極的に対処すれば、その衝撃を理解し受け入れることができるということになるのです。

解決策は、沈黙のうちにつらい思いを忍ぶことではありません。

個人的な問題について話すことは、いつもできるわけではないかもしれませんが、それを積極的に書き表すことが、長い目で見れば、からだが病気と闘う助けになることでしょう。』

■ 思わず、本当か!? と言いたい内容で、心に残りました。これを書いたキッカケは、昨日弔問した亡き人のことを考えると、さぞつらい気持ちだったろうと胸が痛んだからです。また実は、このブログを始めたのも、春の実家整理作業とその直前の真冬の明け方毎朝4時間の除雪作業で、自分の心の状態が経験のない鬱に向かっていたのを意識したからです。後に、書いたことの9割を削除してアップしはじめましたが、今の立場を客観視でき、気持ちの安定につながりました。

■ センター試験の英文は、「アメリカ人やヨーロッパ人の、教育や文化のバックグラウンドを前提とすれば、積極的に勧められることだが、日本人の私たちにもあてはまるだろうか」という疑問も少し頭をよぎりますが、国民性にこだわらずとも、戦後に価値観の共有があった多くの人に言えるのではないかなと思いますが、どうでしょう。いちばんいいのは、少しずつでも自ら実践してみることなのかなと思います。

2023/08/29

■ あるく - 弔問


青森市の親戚Tさんを訪問して、家屋取り壊し費用について教えてもらったことを4/17の記事に書きました。ここには私の従弟(いとこ)もいるのですが、彼の妻が数日前に50代前半にして亡くなり、先ほど弔問にうかがいました。

4月にうかがったときには、入院待ちで自宅にて療養中で、本人にこれまで通りお会いしていろいろと話をうかがうこともできたので、あまりに早い逝去に声も出ない思いでした。

2023/08/28

■ なおす - 色鉛筆を削る


芯が丸くなってちびた色鉛筆を、小さい鉛筆削りで削ります。

胃透視検査の日とその翌日は、いつもやはり体調がいまいちです。なるべく動いて気を紛らして、生体恒常性を保ちたいと思います...が、なかなか。掃除や片付けなどのゆるい作業をしています。

色鉛筆もまた、何十年来ちびりちびりと使ってきました。上の画像は、いかにも寄せ集めですが、気に入って使っています。他に長い色鉛筆が何ダースか年来死蔵しているのですが、手もとのコレだけで事足りています。

鉛筆とは全く異なる筆記用具ですし、使用時には、鉛筆のように持っては、何だか本来の性能を発揮してくれないような気がして、下の画像のように持って使います。

色鉛筆の持ち方;トンボ色辞典 https//www.tombow.comspirojitenartstudiobasic

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ただ、鉛筆と違って「正しい持ち方」のような主張はあまり意味がないのではないでしょうか。線描するのか・塗るのか、塗るにしても、タッチを残すのか・うっすら霧状に塗るのか、要するに使い方が自由です。表現力も、他の多色筆記具より豊かな表情が出ますし、何より手軽です。

絵を描く趣味があるわけでもないですし、誰かに見せるわけでもないです。紙も、いつものウラ紙など、描いてすぐ捨てるような紙です。でも、使う理由は、自分の理解の助けとなるからです。加えて、机に向かうひとときの気持ちがなごみます。と、それだけの補助的な使い方だから、あってもなくても...というわけにはいかなくて、この「机に向かって頭を使う作業をしているんだけど、色鉛筆を使うと醸し出されるゆる~いくつろぎ感」が、自分には必要だと、じわりとあとから思い出したりします。

考えてみると、色鉛筆との、こういう、細い淡い付き合い方を、もしかして、小学校以来半世紀、今に至るまで、途切れたことがない気がしてきました。高校・大学・社会人になっても、ずっと使ってきて、そういえば何度も「コレ色鉛筆?」「なんで色鉛筆?」と、場違いな場で聞かれたことがあるのを思い出しました。若者の頃は、聞かれて恥ずかしい気がしましたが、今となっては、誰にでも、いいじゃないか、便利だよ、と開き直って啓蒙して歩きたいくらいです。