2023/08/22

■ まなぶ - ドイル「ホームズ - 思い出 - 『まがった男(The Crooked Man)』」


人生を振り返ったとき、また見たいと思う光景とは、どんなものでしょうか。

 古今多くの文学作品にも無数に現れていると思います。

 若者なのにたくさん死んでいく兵士。現代の先進国でも「戦死」していく若者が毎日いるとは...。死んでいく彼の無念さはいかばかりでしょうか。

 この話題で思い出すのは、T・Mannの『魔の山"Die Zauberberg"』です。主人公の彼が最後の瞬間に、幼い時からなじんだあのシューベルトの「菩提樹"Lindenbaum"」が思い出され、第一次大戦の戦火のなかに消え、この長編小説が終わります。これは大昔の話ではなくて、今日も今この瞬間も、同じような塹壕のなかで、それが繰り返されているのかと思うと、人類の国際社会の理想や叡智などといったものに対して思わず冷たい笑いが...。いや、ニュースを読むのをやめて気持ちを変えましょう。

図書館に足繁く出入りできるようになって、以前は、時間がないという理由で読むのをあきらめていた本に思わず次々と手を出してしまいます。

それらのうちの1つに、C・ドイルのホームズ譚があります。1990年台後半に、待望のシャーロキアンの方々の豊富な訳注付きの日本語版が次々と出版されて、1冊4,000円に指をくわえていたものでした。

小学校高学年のときに、初めて「まだらの紐」を放課後の学校の図書室で読んで、恐怖のどん底に...。怖くて一人で家に帰れなくなりました。寝るときは天井をよく点検し窓の鍵をしっかり確認して寝ました。それを言うなら、ポーの「モルグ街」もそうだった気がします。それ以来、推理小説という分野は怖くて大嫌いになりました...。

大学生の頃は、文庫本/古本で、ドイルとポーをじつにたくさん読みました。この頃はきっと、読んでももう怖くなくなったに違いありません...。下宿近くにも古本屋が何件か、また、自転車で神田古本街まで行けましたので、3冊100円を手あたり次第という状態でした。大学図書館、区立図書館という最強の環境も自転車圏内でした。ただ、図書館の本は寝そべって気楽に読むにはちょっと...。

ドイルのホームズ譚は、延原謙訳と阿部知二訳が、中古文庫本で廉価で豊富。うち延原訳はじつに格調高く何度も愛読しました。

ホームズ譚の惹かれる点はいくつもあります。あなたも同好の人だとして、どんな点でしょうか。ここでは、私的なそのほんのごく一部のうちのひとつまみを。

幕末から明治維新頃のロンドンですので、まさに世界の中心地。170年2世紀近くも前の時点で、電気こそないものの、地下鉄も走り、郵便配達も新聞印刷も2時間おきに手に入り、化繊もプラスチックもない時代ゆえ絹のスーツに革の靴に懐中時計。はちみつやキャラメルでフレーバー付けしたキャベンディッシュパイプたばこ。ローストビーフのサンドイッチ。現代の私たちより豊かな文明生活ですが、世界中の全ての富がこのほんの数平方kmに集中するからです。他方で、多くの庶民は魔法や心霊の世界の存在も固く信じていた時代。世界の果てから出現したあらゆる未知の概念や謎の生物や異常な人類が、ここロンドンで異常事態となって破裂する状態です。もし私がこの頃ここで小学生なんかやっていたら、恐怖のあまり発狂していたことでしょう。

イギリスが植民地化していたたとえば北米やアジアの異常な運命と背景を、事件の当事者となって持ち込むイギリス人の話が、事件の壮大な背景となっている...、そのスケール感に、私は大いに惹かれます。

初期のホームズ譚をちょっと思い出すだけでも、長編では「緋色の習作」「4つのサイン」、短編から1つ「まがった男」...など、やはり枚挙にいとまがなくなりそうです。上の3作のうち3つ目がもっとも短いので、ちょっと取り上げます。

老いた軍人Aが、鍵をかけた部屋で妻Nと2人だけの状態で激しく口論し、直後に倒れる音と妻の悲鳴。御者と女中がムリに入ってみると、Aは後頭部の外傷から血を流して死んでおり、妻Nは同時に気を失って倒れて昏睡状態...。

遡ってイギリス統治下インド。ここを管轄支配するイギリスの若い軍人AとBは、軍人Cの美しい娘Nを巡ってライバル。娘NはBと心通じる仲となったところにインドの大反乱が勃発し、千人のイギリス人ら白人が1万のインド人反乱軍に包囲されます。軍人Bは、イギリス援軍に助けを求めるために反乱軍の中を突破して伝える役を買って出、指導的立場にあったAに相談すると許可され、夜に出発。まもなく敵の手中に落ちます。これはAがインド人の使用人を使って恋敵Bを敵に売ったという経緯だったことを、捕縛されたBはインド人同士の会話から察知します。まもなく別ルートの援軍が、包囲されたイギリス人らを解放し、AとNは結婚してAは本国イギリスで軍人として出世します。他方、Bは後退する反乱軍に連れられ、拷問され、逃げようとしてはまた拷問。ネパール、ダージリンと連行され、その原住民がインド反乱兵を殺してBは原住民の奴隷となって、アフガニスタン、パンジャブとさまよいます。この間、美男子だったBは、背骨も肋骨も曲がり膝は引きずり...。

『惨めな体となった私にとって、イギリスに戻って旧友に生きていることを伝えて、何の意味があるでしょう。どれほど復讐を望んでも、帰る気にはなれませんでした。』

『しかし人間は年をとると故郷が懐かしくなるものです。私は何年も、イギリスの緑鮮やかな野原や生垣を夢に見てきました。とうとう死ぬ前にもう一度それを見ようと心に決めました。』(ウェブサイト;コンプリートシャーロックホームズ;221b.jp)

何度も思うのですが、全ての人生をかけた憎しみも悲しみも色褪せてなくなった後とうとう死ぬ前にもう一度見てみようと心に “決める” その “イギリスの緑鮮やかな野原や生垣” って、どんな風景なのでしょうか。

原典(マリ版)の表現を見てみると、

For years I’ve been dreaming of the bright green fields and the hedges of England.

At last I determined to see them before I died.

阿部訳(創元推理文庫1960-マリ版)では、「イングランドの輝かしい緑の野や生垣のことを夢にみつづけました。」

小林-東山訳 (河出書房新社1999-オックスフォード版)では、「イングランドの緑の草原や生け垣の夢を見てきました。」

シャーロキアン訳の小林-東山版は、 “緑”に連体修飾語句(形容詞bright)が無い訳です。オックスフォード原典版はそうなっているのでしょうか。

上の3作とも(いやどのホームズ譚でも)、ついに追い詰められた者は、ホームズのつくる穏やかな配慮に満ちた雰囲気のせいか、3者ともに、その異常な“話 (narrative)”を、率直にこころの底から語ります。

が、その話は、いま語っている文明の頂点に達したロンドンという場を一瞬にして視界の下にして遊離し、植民地での異常な体験が大きなスケールで展開します。アジアの熱帯雨林や北米の乾燥帯といった異様な空間や体験や価値観の乖離に、おもいきり我が身を没入させられて我と時空を遠く忘却します。

また、3者とも、語り終えたその直後に待つ自分の末路は、死か死刑か絶望かのいずれかですが、語り終えて、もはや何一つ悔いのないじゅうぶんな充足感を持ってそれを迎えようとする心の平安を、ずっしり感じます。読む都度に胸をうたれます。

こないだうち書いていた英単語集に、

“England is known for the quaint cottages in its lush green countryside.” 

という例文がありました。こういう光景なのでしょうか、彼が見たかった故郷の緑とは。

2023/08/21

■ なおす - 寝袋を洗う3


寝袋洗いの4枚目。8/15にmontbell#2(黄), 8/17に#0(赤), 8/19に#1(赤), 今日8/21は#3(緑)を洗いました。

 今日の#3はさすがに薄くて、明け方洗濯機で脱水し、午前中に外に干していたら、昼には触った感じではほぼ乾いています。いずれも、あとは室内に吊って完全に自然乾燥するでしょう。この話題はこのくらいにしておきます。

次の秋冬は、これで快適に乗り切れますように!次回洗うのは、来年5月。それまで元気で快適に過ごせますように!


2023/08/20

■ きく - フレスコバルディ「音楽の花束」; C. エルケン / カンディクム / L. ギイルミ (Org)

左;グレゴリオ聖歌選集 Wiener Hofburgkappelle (philips 1983) 
/ 右;フレスコバルディ 「音楽の花束」から「聖母のミサ」
 Lorenzo Gielmi (harmonia mundi 50 Jahre 2008)

夕方に就寝して深夜に起きます。頭がぼうっとしているので、冷水を飲んでからシャワーを浴びます。温水と冷水を交互に浴びる「温冷浴」で、ここ40年近く毎日欠かしたことのない習慣です。で、目覚めがスッキリします。

机に向かいます。そう頭を使わずに済む作業を。その間、聞こえるか聞こえないかの音量で、音楽を。あまり知らない分野がいいので、無限に広がる未知の花畑である中世ルネサンス期のものを。世俗音楽だとやはり気が散ったりしますので、避けます。でもよく、単純にモノフォニックなグレゴリオ聖歌になったりします(「その歌ナニ?」という方が圧倒的多数ですよね。ごめんなさい)。

CDで手持ちのグレゴリオ聖歌は、ソレム修道院の1950年代の録音とヴィーンホフブルクカペレの1980年代の録音(画像左)です。前者は、さすがに今となっては、暑苦しく息苦しい録音です(す、すみません...)。後者は、巨大権威のソレム派へのアンチテーゼとしての意義があると思います。現在の奏法の基本ではないでしょうか。

とはいえ、十代の頃は謎の音楽グレゴリオ聖歌も、その後何十年か聴くとさすがに耳になじみます。で、石造りの教会聖堂とそこに響く雰囲気を湛えつつ少し変化を。

取り上げたフレスコバルディ(「それ誰?」という方が圧倒的多数派ですよね。ごめんなさい)。バロック最初期、17世紀前半(3代将軍家光の頃)に成立したこの“Fiori Musicali(音楽の花束)”(画像右)は、ミサに用いるオルガン曲の抜粋のようなものでしょうか。バチカンのオルガニストだったことも影響しているのでしょうか、このCDの曲の編成は、主日ミサと「夕の祈り(Vespro)」のグレゴリオ聖歌に、オルガン独奏(稀に声楽+オルガン伴奏も)を交互に織り込む構造になっています。

グレゴリオ聖歌は手を加えず唱和され、はさまるオルガン独奏(トッカータ、カンツォネ、リチェルカーレなど)が、伝統的な対位法的技法を用いながら色彩的で半音階的な和声を多用する、フレスコバルディの、斬新で強い理念を反映する曲想の進行があり、聴くともなく聴いていると、気持ちが静まったり、華やかなのに穏やかな色彩感に少し高揚したり、と思うとまた気持ちが凪を迎えたり...。

このオルガン技法が、法王のお膝元ローマ、メディチ家のフィレンツェと北イタリアを経て、アルプスを越えて、意外にもルター派のエリアで、ブクステフーデ、バッハへと直接流れ込んでいったのかと思うと、巨大で静かな歴史の潮流にじわりとした感動があります。真っ暗な朝の、ごく静かですが、私の小さな現実存在からかけ離れた充実感ある時間です。