2023/04/13

■こわすつくる - 実家整理 - マットレス等のスポンジ

 


■ 寝具や椅子のクッションにつかわれているマットレススポンジ(…って言うのですか?)。なんだか冴えないうんざりするような絵ですみません。

■ クッションの内容物がスポンジのものは、どのゴミに出せばよいか、市に問い合わせたところ;

「中身と側(ガワ;布地)を分離せよ→中身のスポンジはプラスチックごみに、側の布地は燃えるゴミに」とのこと。

■...中身と側は、別なゴミだったのか…。

■ で、家中を探してマットレスやクッションを集め、画像の通り分離しました。

■ 取り出した中身のスポンジを、市の収集袋に入れるのはとうてい無理です。他のプラごみとともに、市のプラスチックごみ処理場に、軽トラで持参しました。


2023/04/11

■ こわすつくる - 実家整理 - 置き薬



■ 「置き薬」「配置薬」という商法は、一定の需要があるようです。

■ この商法は、賛否両論あるようですね。最大のメリットは、深夜早朝の病変でも医者いらずで、元祖セルフメディケーションが可能という点でしょうか。特に今ほど気軽に医師にかかれなかった昭和の時代は。また、防災緊急時に手元にある、コロナ・パンデミックに際して外出不要なども挙げられます。他方、現代社会では、開業医はきれいでフレンドリーなクリニックとなって敷居も低く、ドラッグストアが徒歩圏内に何か所もあり、置き薬の意味は薄くなりました。若い世帯では自宅に薬をもってきてもらう必要を感じないのではないでしょうか。また置き薬の価格ですが、amazonやツルハで300円程度の第二類目薬が、置き薬になると2倍~3倍の値段で売っている商売のようです。

■ 私の祖母は盛んにお世話になっていたという私の幼少時の記憶があります。昭和の記憶ですが、年に2回程度、巨大な風呂敷包みを背負った古風なきさくなおじさんが二階(の祖母の部屋)に上がってくる光景が思い出されます。ホントに富山からお越しだそうな。腹痛(はらいた)、風邪、傷テープ、のどトローチがいつも祖母の部屋にすぐあり、気軽に使いました。祖母は「むやみやたらに使ってはならない」と私たち孫を戒めていました。

■ 祖母亡き後も、どうやら母が置き薬をそのまま続けていたようです。

■ 今回、実家整理後半は、昭和の道具や電気製品を、ゴミの分別のために、ひたすら分解作業中なのですが、その作業を1Fの玄関で実行しています。昔商売をしていた家なので、店舗部分を玄関に改造してあり、比較的広いスペースです。その場を少し離れたタイミングで、戻ってみると、作業台に、置き薬会社D社のMさんという人の名刺と「不在連絡票 - 家屋取り壊しのようですので薬箱を引き上げます」の紙が置かれていました。

■すぐ本社にメールして、清算したい旨を伝えました。

■ 翌朝9:00頃に、いつも通り家具や電気製品の分解作業中に、身なりの立派なMさんが来訪し、清算しました。

■ 薬は十点程度残っていたような気がしますが、袋に入ったものが多くて、開封したのかどうか疑義があったので、ケースとともにほとんど廃棄処分したような気がします。きれいな状態で残っていた紙箱入りの薬3点(目薬2点と風邪薬1点)をお返しします。清算金計4,070円の現金にて支払い、これまでの契約をすべて終了しました。

■ この商法は、たしかに、市販300円程度の目薬を1,000円で売る利幅の大きな商売のようで、そういう目で接すると気分は良くないです。が、せっかくお越しいただいたので少し話してみると、お年寄りの一人暮らしの顧客がそうとう多く(わが実家もそうです)、これを、言ってみれば定期的に巡回して、声掛けをしている仕事をしているんだな、という印象を持ちました。そう思うと、そうそう「高すぎる」「現代に存在価値はない」などと断ずるわけにもいかないかもしれないです。

■ いずれにしても、清算の機会を与えてもらい、感謝しています。

2023/04/10

■こわすつくる - 実家整理 - 処分場にて

 


■ 昨日4/9の朝は降雪で、慌てましたが、今日は良い天気。朝は冷えましたが、午前中から気温がどんどん上昇して17℃になるそうです。

■ 今日4/10(月)も、早朝から積込作業した「もやせるごみ」を満載して、処理場へと、お天気の良い朝の土手の道を軽トラで快走。

■ いつもと違って、月曜の朝9:30にやってきてしまったところ、一般の自治体回収ゴミの収集を終えた塵芥車が集まり始めていて、たいへん混雑しており、塵芥車の車列のあいだにポツンと入れてもらって待ち、計量・破砕・投入・計量・精算で、計1時間ほどかかりました。経験のない混雑ぶり。

■ 処分場の受付の係のお姉さんが、塵芥車に混じる私の軽トラを哀れに思ったか、精算時に「今日は月曜の朝で、混むんですよ。ふだんはこんなにかからないで済んでいたのに、すみませんね。」と労ってくれました。おなじみの顔になってしまったようです。お気づかいに感謝します。

■ 画像は、破砕作業ブースに先客がいたので、順番を処分場の屋外で待っているときの、軽トラと岩木山です。

■冬の眠りの広大な田園。そのまっただなかに、ポツンといる放心してたたずむ自分。

■昨日の雪から一夜明けて、春らしい、冷たい空気が張りつめる晴れのいい天気。

■何だか時間空間を忘れそう。

   ...自分の存在って何だろう…と、考えませんか? (精神がそろそろ蝕まれていますか?)

■ 「うらうらと照れる春日にひばりあがり こころかなしもひとりしおもへば」

■万葉集の編纂者大伴家持の愁い。摂関家に押され、飛鳥奈良以来の大伴家がまもなく絶える運命が見えてきた頃…。

■家持の「はるのその…おとめ」の歌や「新しき年のはじめの…いやしけよごと」も、和歌の日本的な美しさと価値観を代表するものだとして、検定教科書を通じて日本国民に対して、重ねて教育されているのですが...

他方、こちらの春の愁いの歌は、万葉集どころか、まるで平安400年の古今集を通り越し、武家の台頭を憂い滅びの美学と心象的な描写を旨とする凋落の公家文化に揺籃された新古今に通じるものを感じます(私個人の感想です)。

…って、やっぱたかがゴミ捨てに何を高邁なふうを装うたわごとを…って!?