2025/12/14

■ まなぶ ■ 理解できなかった『忠臣蔵』-1

江戸城本丸 松の廊下 
(模型 都江戸東京博物館)

12/14は"赤穂浪士討ち入り事件の日"。

 毎年この日になってニュースなどの話題に"今日は『忠臣蔵』の日"なんてのを耳にする度に、もやもや感が...。

 人形浄瑠璃・歌舞伎から現代のお芝居に至るまで、最も有名な伝統的芝居です。

 一般的には、彼らの"主君の仇討ち"行動は、"忠義"に基づいた、人としてあるべき"義挙"として、日本人の琴線に触れるような称賛される見解が優勢です。日本の文化や価値観において広く"美談"として受け止められている気がします。

 いま、あなたも私も、「暴力は/自力救済は/決闘は、現代の民主主義国家では禁止されて...」という現代法をひとまずおいて、武家社会に身を置いてみるとすれば、古来日本人の儒教的価値観に基づき、"肉親と主君の仇討ちは、忠義で美しい行為"ということをいったん疑義なく肯定するとします。

 討ち入った"赤穂浪士"は、"主君を自死に追いやった敵を、討ち倒し、亡き主君の無念を晴らした"。上の価値観に適合しそうです...。

 じゃ、その"敵"って、"主君"を殺したんですか? どんな殺し方をしたんですか。だから"仇討ち"という報復を遂げたんですか?

 主君が自ら死なざるをえなくなったいきさつを知って、激しい疑問が沸いたのが、ストーリーを知った高校時代。

 祖母が、やはり年末迫る今の時期、テレビで『忠臣蔵』を見ていて、私が、それはどんな芝居かと尋ねたら、お前は忠臣蔵を知らないのかと驚かれたのがきっかけです(;^^...く、くやしい...。当時高校生の私は、すぐに調べました...。

 史実となる事件は、時系列的には2つに分けられます(Wikipediaを参照);

1) 1701年4月21日、江戸城内で、赤穂藩藩主・浅野長矩が、高家肝煎・吉良義央に対し、背後から重傷を負わせる刃傷に及んだ。

幕府が江戸城内で朝廷の使者である公卿を歓待する当日に起きたこの刃傷事件に対し、激怒した五代将軍徳川綱吉の命で、浅野長矩は即日切腹となった。結果、浅野家赤穂藩は取り潰し、藩士は全員牢人(浪人)となった。

2) 翌1702年12月14日深夜、うち47名が、吉良邸を襲撃、1)の刃傷事件の被害者吉良義央らを殺害した。その後、この浪士たちは切腹、その遺族は連座して処罰された。

 私の目には、どうしても、

"殺人未遂犯が処刑された。被害者は一命を取り留めた。翌年、犯人の元部下47名が被害者を再度襲って殺害した"という事件に思えました...、今でも、というかますます強く。

 これは"仇討ち"なのですか。日本人の価値観において"美しい行為"なのですか。