2023/10/16

■ きく - シベリウス 弦楽四重奏曲二短調 Op56 「内なる声」- グヮルネリ弦楽四重奏団 / テンペラ弦楽四重奏団


あなたが幼いころから慣れ親しんだの地元の郷土料理を、東京のお店で食べてみたことはありますか。あるいは、あなたのお母さんの得意の手料理を、レシピをまねて他人が作ったとして...。

津軽のいなか者の私は、東京で暮らしていたときに一度、『津軽郷土料理の店』に人に連れて行ってもらったことがあります。

マンガ『美味しんぼ』の第100巻が『味めぐり-青森編』でした。県のお役人の案内で次々と県内を巡り、あらかじめ地元名士や婦人会に大掛かりに用意させておいた郷土料理を次々と食べ歩き、都内のホテルで青森郷土料理どうしを対決させる...。私の地元の料理の内容を見ると...。

 感想。「ど、どれも、ち、ちがう...」

 東京の「郷土料理の店」やマンガ『美味しんぼ』で供出されるのは、良く言うと「洗練されて」います。良い材料を用いて、誰の口にも合う、しかもちょっと特別で高級な仕上がり、というベクトルに振って調理を仕上げているのではないでしょうか。東京のような大都会で営業する以上は、そのような付加価値があっても、納得がゆきます。否定すべきものじゃなくて、「東京における各地の郷土料理」という分野も、また一つの新しい解釈だし、洗練された文化になっていると思います。

 しかし、それは、昭和のいなかの庶民が幼少時に毎日口にしたはずの家庭料理とは、かけ離れています。明らかに劣った材料を使って、その家の人の口にしか合わないようなえぐみがあるはずです。

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 北欧(フィンランド)の作曲家シベリウスは、交響曲には中学校の頃聞いた2番以来、大学の頃に聴いたバーンスタイン/ヴィーンフィル(DG)の「スーパーロマンチシズム解釈」に至るまで、ずっと親しんでいたものの、その印象が災いして、弦楽四重奏曲は、何十年もこの1曲しか知らず、しかも「暗くて地味」というイメージを持っていて、積極的には食指が動きませんでした。

 とはいえ、どの弦楽四重奏団も、その演奏は美しいです。うち、グヮルネリSQの1989年録音盤(Philips 246-286-2;画像右)を。

 ジャケットは、年配のアメリカ人紳士の写真です。レパートリーも広くディスコグラフィも多く、40年にもわたって同じメンバーで国際的に活躍した尊敬すべき弦楽四重奏団でした。技術的に確実で、その演奏は、年配紳士の写真にとらわれてはいけないのですが、溌溂として軽やか。アメリカの弦楽四重奏団というイメージから寄せる期待に応えてくれます。

 他方、テンペラ弦楽四重奏団(画像左)は、まったく知らなかったのですが、BISレーベルから2007年頃に『The Sibelius Edition』という組み物が発売されて、これを機に、弦楽四重奏曲も聴いてみたいと思い、購入しました (BIS CD-1903/5)。第1巻-室内楽1は、CD6枚セットですが、うち、シベリウスによって完成された「弦楽四重奏曲」はCD3枚に渡るたった4曲しかなかったので、あ、そうなのか、と理解しました。うち3曲は、このセットで初めて触れました。いずれもこのフィンランドの四重奏団の演奏です。

 CDセットの1枚目の嬰ホ長調の冒頭を、一聴して仰天しました、彼女らの演奏には。天衣無縫。水を得た魚。水しぶきが次々と飛んでくるようです。

 このフレッシュさは、フィンランド人のシベリウスの曲が、フィンランド人の彼女らにとっては、自家薬籠中の十八番、毎日曲芸のように振る中華鍋でつくられた、ここでなくてはできない料理、というたぐいの見事さです。

 今は、「暗くて地味」というイメージを抱いてしまっていた二短調の、緩徐楽章(Adagio di molto)を見てみましょう。

 全体に、緩徐楽章でありながらリズムの揺れが激しく、拍子記号が数小節ごとに変更され、ご覧の連符のリズムの抑揚もめまぐるしいです。こんな楽譜は、一人で演奏して前に進むのも困難なところ、合奏で進むのはよほど高い技能を要するでしょう。

※ 楽譜 1

■ 楽譜1のこの箇所は、四声部それぞれが、たゆたう波のように浮いては沈む全体の雰囲気を代表して一部抜き出してみました。グヮルネリSQは、楽譜には忠実で、マルカート記号やクレシェンド記号も、全体としてバランスよく、安心して身を委ねられるような規則正しさで、すっきり軽やかに進みます。下手をすれば、やすらかさは眠さに交代しそうです。

 テンペラSQは...。ゆったりと、いやねっとりと、彫りが深く、夢見るように、4本の弦がうねります。1stVnの高音はシャッキリ鋭く、Vaの中音域は太くじっくりとした擦弦音の触覚や振動が、まさに手で触るかのようです。

※ 楽譜 2

 楽譜2の後半、この楽章のクライマックスですが、テヌート付きのクレシェンドで上行しながら、p (ピアノ) < (クレシェンド)  f (フォルテ) と、極端な遠近がつけられた箇所。グヮルネリSQは、遠い憧憬を思い出すかのように、手前に増幅せずに、はるか遠くに焦点を合わせるかのような音作りです。

 対して、テンペラSQは、いっさい迷いのない強いボウイングで、点のようなミクロのp (ピアノ) から、ぐぅ~ッと拡大したf (フォルテ)に、一気に視野いっぱいに音像を広げます。

 グヮルネリは、国際的に活躍し、世界中に舌の(耳の?)肥えた客を抱える弦楽四重奏団です。対して、テンペラSQの立ち位置は、地元の作曲家、地元の演奏、地元の聴衆。こってりとしたえぐみさえある演奏で、このシベリウスは、他の演奏家にはとうてい近づけない世界ではないか、と、いつも、充足感に満ちて大きなため息をつきます。