2023/04/07

■きく - レコード芸術誌にこころから感謝

 


レコ芸休刊。音楽ファンの心情に、一つの大きな時代の区切りを刻むのは確実だと思います。

私は中学生だった70年代から数十年来拝読してきた口です。

中学の時、批評子諸氏の言葉は宣旨文として謹んで承り、高校の時は慈父の如き批評子に対する反抗期を迎え、大学時代は同好の士と口角泡を飛ばして今月号の論評を論評し合いました(笑

レコ芸70年の歴史で特筆すべきことや事件も多かったと思います。

個人的には「古楽」の分野。20年にわたって、NHK-FMの番組と並行して、皆川-服部両氏の博覧強記かつ温厚篤実な名コンビで、しかも一切の互いの干渉なしで続いたという奇跡です。

また、毎年の「レコードアカデミー大賞の決定」。いえ、何が選出されたか、なんかどうでもよいです。読者にとってはこの時点で既知の音盤です。むしろ、選考過程の、それも特に批評子同士で大きく混乱した際の、経過の報告が、毎年の年末の楽しみでした…って、ちょっと私の性格に問題がありますか(^^?...

新譜評論は、いつの時代も需要はあり続ける気がします。「どんな音楽を聴こうかな、どんなCDを買おうかな」を導いてくれますし、「この演奏はこんなふうだ」という方向性を示唆してくれます。だからレコ芸休刊は意表を衝かれました(「いつかは他の雑誌と同じ運命だろうけどそれは今か」という感じ)。

例えば吉田秀和のような、ひと言で正鵠を射るような優れた論者たちが導き手になっているという図式は、レコ芸にはあったと思います。私もこれに安心して身を任せていました。

思うに、これ(新譜評論)への欲求について、レコ芸の読者層は、(音友やステレオ誌に比して)いち早くネットへのシフトが完了したのではないでしょうか。例えば、買おうとするCDがあったとして、その演奏のウェブサイトのコメント欄を見ます。そのうちの一つ、国内外のHMVのコメント欄は、その積み重ねが膨大で、(しかもどなたもレコ芸やGramophoneみたいな評論調で、)読むだけでお腹いっぱい楽しめます。ふと考えてみれば、その後にレコ芸を買う必要性があるかと問われると…。

このような現象はテクノロジーの変化が主たる原因ですが、レコ芸の批評子の権威が相対的に低下したことも大きいでしょう。評論の質が下がったかどうかという問題は置いといて、「その道の権威に従う」という70年代のような価値観の単一性は崩壊し、誰でも情報の発信者になれたことで諸説紛々とした状況。ニーチェが「奴隷の反乱」、オルテガが「大衆の反逆」と喝破してもう100年ですが、2人のスタンスの良し悪しはともあれ、状況的には、彼らにも想像できなかった規模となって実現していることでしょう。

もちろんコメント欄に書き込んでいる人のレベルは玉石混交です。豊富な知識を前提に念入りに聞き込み配慮して表現したプロの批評子の比ではありません。が、なにせ量が圧倒的。読み進むうちに、そのCDの演奏がどんな演奏なのかについて、例えば自分がすでに聞いたことのある他の演奏と比べて記述してくれる人も多く、ほぼ把握できるような気がします。

でも「どんな音楽を聴こうかな」というわくわくした気分で今月号を開くという楽しみは、ネットにはない、レコ芸ならではのもの。やっぱり切ないです。