2023/04/03

■あるく - 弘前禅林街



弘前の禅林街は、道の両側に、禅宗(曹洞宗)のお寺のみが30余りも並ぶ寺院の街です。津軽藩の政策的街造りによるもののようです。

観光地化されてしまって…という地元の人の嘆きもあるようすですが、

でも、今日この春の日曜日の夕暮れ前のひとときは、人影もまばらで、昔から変わらない暖かくも緊張感ある空気がゆらめくように漂い、夢見心地であるくことができました。

ふだんあるくりんご畑やあぜ道や湖畔の道も気持ちがなごんで良いのですが、人の手が、いや、人の意志や魂が、入念に込められたエリアは、異様な凝縮感や緊張感があるせいでしょうか、襟を正して胸を張ってあるこうというシャッキリとした意識が、自分を占めます。

私は、打ち明けると、個人的に「旅行」は苦手です。「旅行」の定義を、いま仮に「自家用車を含む交通機関を用いた宿泊を伴う移動であり、かつ、ビジネス目的や差し迫った必要性緊急性が無いもの」と定義するならば、私は、旅行をした経験が、この半世紀で1度です。

15年ほど前に、歴史的興味から奈良県奈良市とその周辺市町村を。綿密に意識して唐招提寺・興福寺・国立博物館・東大寺をあるきました。

禅林街といい、興福寺・東大寺といい、同じようなひじょうに強い古人の意志を感じて、上にかいたような同じ意識が自分を占めました。威圧感がないわけではないのですが、心地よい緊張感です。

気分が良いなら、もっと旅行をしてあちこち似たような場所を訪れればよいようなものですが…。ただ、仏教の寺院だから、宗教的な伽藍だから良い、というわけではなくて、例えば、大昔の学生時代の経験ですが、古い大学の古い図書館の内外を歩くときなど、似たような意識が目覚めます。 

自分のふだんの軽薄な日常生活意識に対して突然視界に出来する非現実な重厚感で、その背後に何か歴史上の人々の強い意志を感じる場合です。このとき、畏怖の念を覚えるのですが、冷や水を浴びせられてすっきり目が覚めたような、希望を持とう、もっとよく生きようという感覚が優る気がします…。