2024/01/27

■ あるく - 松の木の八幡さま


おととい1/25の、街中にある大きな現代建築の神明宮に触発されて、それとは対照的な、素朴なむかしながらの光景を見て感じたくなりました。

 昨日、会葬の帰途、幹線道路からあえてはずれていなか道をのろのろと軽トラで帰宅しました。その際に、何十年か通りかかっていなかった山沿いの集落を縫う道を。

 見つけたのは、「松の木の八幡さま」。「松の木」は集落の地名です。このウェブログにも2023/5/27や6/16に書いたステキな大溜池のすぐ南隣です。小学生のときはよく自転車で足をのばしてきたものです(って、また半世紀前の話を...)。現在のようにりんご畑は広がっておらず、山手の雑木林の中に集落が点在しているようなエリアでした。私の住む街中から果てしない田んぼを延々と突っ切り、その後は連なる山また山に向かって広がる雑木林の中に迷い込んで出られなくなりそうな(多少、脚色されています...)集落の1つにある八幡さま、という印象です。

入口の大きな杉と黒松は、半世紀も前のあの時から何も変わっていないような気がしますが、記憶では鳥居がこんなにビビッドな色合いではないです。鉛色の空、人の踏み跡はまったくない、静かな境内に、明るい鳥居が、シャッキリした現実感を吹き返してくれます。

 この八幡さまの脇の広場に軽トラを置いて、ひとまず手を合わせてから、りんご畑に囲まれたあの溜池エリアの一部を少しあるいてみますが、りんご農家の軽トラのわだちが数往復あるのみで、そこから先の湖面も土手も雪で一体化していて、動物たちの足跡しかついていません。もうあるくのが困難になってきました。ひきかえしてまた八幡さまに手を合わせて、今日はもうすごすごと帰ります。

 でも、みぞれ交じりの鉛色の空ではありましたが、吹く冷たい風に、気持ちが冴えました。

 初夏や秋の抜けるような青空も良いものですが、この津軽地方の真冬の重い鉛色の空も、思考に雑多な夾雑物が混じらないモノトーンな感じがあって、自分の脳内思考の延長、しかも空間が広く冷たく広がっている...みたいな気がして、冬にひとりあるくなら、やっぱりこういうところがいいなと、しみじみ感じました。