2023/12/13

■ なおす - 包丁を砥ぐ

※ 左;研ぐ前   /   右;刃を研ぎだした「切り出し小刀」

11月末に降雪があって以来、この時期にしては妙になま暖かい日が続いていましたが、ここ2,3日は、刺すような冬の寒さがやってきました。雪はなく、昨日は寒空からかき氷をまくようなみぞれの降り方でした。

 寒くて黙って座っていられないくらい...となると、刃研ぎのシーズンです?...と、私が一人で決め込んでいるのですが、刃を研ぐと、単純にからだが暖まるってだけです。また、研いでいるときの砥石に触れる刃の温度も上がりづらく、刃が熱くなるときの危機感がなくてやりやすいです。とはいえ、冷たい水道水と砥泥とで、指の皮膚はボロボロになるのですが...。

 今日研ぐメンツは、普段使いの包丁2本とパン切りナイフと、春先に実家整理で見つけたもののうち「チタン+ステンレス」(左の画像の中央にある黒い精悍な包丁)と書かれた包丁と「切り出し小刀」(左の画像の左にある、汚い木製の柄のついた錆びだらけの...)です。

 まずこの「切り出し小刀」。

■ 実家整理のときには、心を鬼にしてあれもこれもどっさり捨てたのですが、この「切り出し」も、画像左にあるように、もはや刃物の原形をなしておらず、錆のカタマリです。こんな錆びた汚いものは、さっさと捨てて、もし自分で必要ならば、買い直せばいいだけです。安いものなら1,000円前後でしょうか。アマゾンやワークマンで。安物なんだし、中国製だって別にいいじゃない。...という発想で、日本は使い捨て社会となり、モノづくりをヤメ、中国に依存する体質になり、中国の強大化に貢献し、今後展開される人類史では、近々中国の統治下に入る予定です...、って、考えすぎか...。

 とはいえ、父があれこれ便利に使っていたのを思うと、ちょっと捨てられず、「今回の実家整理作業で使い捨てるテコやヘラの代わりくらいにはなるかな」と思って捨てずにいました。先日、工具箱の中から見つけました。捨てかけたのですが、荷物をほどいたり、段ボールを切断したりと、父が使っていた用途を思い出して、カッターを使うよりも剛性感があっていいかなと思い、そこで砥いでみ...るのはたいへんだゾこりゃ、ってなわけで、どっちつかずに放置していました。

 今日は、この切り出しを、ためしに砥いでみて、それで使えなければ捨てるつもりです。

 もともとメーカーでは、製品化する設計段階で「刃物鋼」を素材に選定しているはずですので、砥げるでしょう。

 よく見ると、刃(だったはず)の部分もサビで鋸刃みたいにギザギザで、指に強く押しあてて引いても、切れる気配はなし。刃の身頃の見栄えの復活はあきらめて、とにかく刃をつけます。本来は鞘付きだったはずですが、鞘なんか紛失していますので、切っ先はつけないことにします。

 荒砥150番くらいからガリガリと始めて、ひとまず中砥1500番台で刃を砥ぎ出してみます。画像右のように、不器用ですが、切れ味は、それなりに復活しました。段ボールやナイロン紐などはカッターと同じ程度に切れます。りんごの皮もむけそうです。

 次、「チタン+ステンレス包丁」。

■ 思うんだけど、この「チタン包丁」のウリ文句はたぶん「軽い・錆びない・切れ味長持ち・においがつかない」じゃぁないのかな? TV通販などで売っていそうな...。なぜこんなものが実家にあったのでしょうか。

 持つと、たしかに軽いですが、その軽さは、「比重が鉄の半分」といったチタン本来の軽さではなく、それよりは重いです。おそらくほとんどがステンレス鋼で、チタンは「コーティング・塗装・塗布」程度じゃないかなと予想。また、柄が、本来の包丁の柄に用いる品質を明らかに下回る安っぽいプラスチック製で、軽さを演出しています。

 そもそも刃の芯がチタン(かその合金)というのは、ありえないです。この金属の性質として、硬く、こぼれやすく、他方で工業的に焼き入れしづらく、工場で動力を用いて強引に刃入れしたら、その硬さゆえ切れ味は少しは長持ちしそうですが、いったん家庭で切れ味が鈍ったり刃こぼれしたとして、一般家庭の実用レベルまで鋼(はがね)の包丁程度に砥ぎ上げるのは、一般人の技術ではまるっきり無理ではないでしょうか。また、「アルミ製の包丁」がないのと同じリクツで、がんばって砥いだとして、そのそばから、研磨面に、一瞬にして緻密な酸化被膜が形成されて、刃物として使いものにならないのではないかな。

 見ると一度研いだ後がありますが、いま、半信半疑で砥いでみます。黒い(たぶんチタン被膜の)コーティングは、簡単に剥がれ落ちるようです。砥いでいて、反応が鈍く、砥泥が極端に少ないです。刃に「返り」もつきません...。

 どうやら、イマ自分は、刃物鋼としてはいまいちな品質のステンレスの板を、ムダに一生懸命研いでいるところじゃなかろうかとの疑惑の念が沸々と...。ダイソーで200円の包丁と同じ品質、いやそれ以下の予感...。

 いつも私が使っている包丁と同じ程度の段取りで砥ぎ、野菜を切ってみます...。

 するとっ!...やっぱコレさ、ごめん、何の悔いもなく捨てましょう。「チタン = 万能 = 高級」という俗耳に入りやすいスキームで消費者を篭絡するのは...。 

 すぐ、同様に砥いだいつもの「藤次郎」で野菜を切ります...。こ、怖い...。いきなり緊張感。感激して泣けます(?)...。いつもどおり、砥ぎたては、まな板が「トントン...」ではなく、音もなく包丁の刃がまな板に吸い付くようなぞっとするような感触です。こうでなくちゃ...。青紙鋼・黄紙鋼・白紙鋼などといった高級和包丁の鋼のすさまじさはないですが、それに次ぐコバルト合金(医療用のスカルペル(メス)でも標準仕様)のうちのV金10号。

 軽けりゃ、錆びなけりゃ、切れ味が長持ちすりゃ、エラいのですか? 高級な和包丁になるほど、ずっしり重く、翌日錆びてて、まったく切れない...のでは? だったらそれは最低の刃物なのですか? 

 重くてもろくて錆びやすい、けど、「そのつど頻繁に手入れして最高の状態で使えよ」というのが本来の思想だと思います。刃物って、そういう存在なんじゃないのかなと認識を新たにします。